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#017 全体主義を解体せよ——個を尊重する組織が未来をつくる

「社長は社員ひとりひとりに気を使い過ぎですよ。」

先日、ある社員の方からそんな言葉をかけられた。言葉のトーンはやや心配げで、私の負担を気遣ってくれているようだった。私はその言葉を聞いて、正直うれしくなった。なぜなら、それは私が大切にしている「個の尊重」が、少なくとも誰かの目には映っていたということだからだ。

「気を使っている」のではなく、「個を見ている」だけ

社員の方からのその言葉で、私は、ひとりひとりに「気を使っている」という意識がないことを自覚した。むしろ、気を使うという言葉には、どこか「無理をしている」ニュアンスがある。でも、私にとってそれは自然なこと。名前を呼び、話をして、表情や声のトーンから無数のメッセージを受け取る。そこに、その人の「今」がある。

組織において、個を見ようとする姿勢は、「非効率」と言われるかもしれない。全体最適を目指すなら、個別対応は手間がかかるし、ばらつきが生まれる。でも、私はその「ばらつき」こそが、組織の豊かさだと思っている。

ファシズム・全体主義とは何か——「統一」の名のもとに失われるもの

ファシズムや全体主義という言葉は、政治的な文脈で語られることが多いが、企業や組織の中にもその影は潜んでいる。

ファシズムとは、国家や集団の利益を最優先し、個人の自由や多様性を抑圧する思想体系だ。全体主義はその延長線上にあり、個人の思考や行動までもが「全体のため」に統制される。そこでは、異論や違和感は「秩序を乱すもの」として排除され、統一された価値観が絶対視される。

企業においても、こうした思想が「効率」や「標準化」の名のもとに浸透することがある。ルールやマニュアルが厳格に定められ、上位者の指示が絶対となり、現場の声が届かなくなる。そうした風土は、見た目には整然としていても、内側では「個の力」が失われていく。

全体主義が奪うもの——個性・創造性・主体性

全体主義的な組織では、個性は「ばらつき」として扱われる。創造性は「逸脱」とされ、主体性は「反抗」とみなされる。結果として、社員は「考えない方が楽だ」と感じるようになり、自らの判断を放棄していく。

これは、個人のパフォーマンスに深刻な影響を及ぼす。

創造性の低下:新しいアイデアが生まれにくくなる。

・モチベーションの喪失:自分の意見が尊重されないことで、働く意味を見失う。

・責任感の希薄化:指示通りに動くだけの仕事は、当事者意識を奪う。

・心理的安全性の欠如:何を言っても否定される環境では、声を上げることが怖くなる。

こうした影響は、個人だけでなく、組織全体の活力を奪っていく。均質化された組織は、外部環境の変化に弱く、柔軟な対応ができなくなる。つまり、全体主義は「安定」のように見えて、実は「脆弱さ」を内包しているのだ。

「全体主義」への拒否反応——自動車業界での体験

私が全体主義に強い違和感を持つようになったのは、自動車業界での経験が大きい。

自動車やその部品の製造では、1000個作れば1000個すべてが寸分違わぬ品質でなければならない。均質な製品を作るために、生産設備の設定や材料の材質だけでなく、社員の行動や判断基準までもが均質に規定される。品質は、長年の中で発生した不具合からの学びが再発防止システムに反映されるため、年功者の言うことは絶対となり、若年者や経験の浅い者の発言は瞬殺されることが多い。

それは、さも「ビジネスのスタンダード」であるかのような錯覚を生み、製造領域の職場のみならず会社全体の仕事や行動がそのように統制されていく。私はその世界の中で、人事という反主流な職場が長かった。人事は製造のように数値で成果を測りにくいため、存在そのものを否定されるような扱いを受けることが少なくなかった。

個性を押し殺して生きてきた——その歴史が、私の中に「反発」として蓄積されていった。そしてそれが、今の「アンチ全体主義」という価値観につながっているのだと思う。

「個を尊重すること」は、リーダーの覚悟

個を尊重することは、簡単ではない。時間がかかるし、エネルギーもいる。時には、全体のスピードを落とすこともある。でも、それでも私は、個を見続けたい。

それは、リーダーとしての「覚悟」だと思っている。

組織の中で、誰かが孤立しそうになったとき、誰かが声を上げようとしているとき、その「小さな兆し」に気づけるかどうか。そこに、リーダーの真価が問われる。

心が震えた日——個と向き合うということ

ある日、2名の社員の方からたまたま同じ日に相談を受けた。いずれも個と個との価値観の相違から心が痛む思いをされた、誰が悪いというものではない事象であった。私はその日、2人それぞれと膝を突き合わせて話をした。言葉を選びながら、心に寄り添いながら、彼らの「痛み」に触れた。話すうちに、彼らの心と同期していくような感覚があった。彼らが大切にしている価値観が、私の中に染み込んでくる。それは、ただの対話ではなく、魂の交換のような時間だった。

少しずつ、雪解けのように、彼らの表情が柔らかくなっていくのを感じた。

話を終え、家族が寝静まった家に帰ったとき、私は自然と涙がこみあげてくる感覚になりぐっとこらえた。不思議なのだが、悲しいわけでも、つらいわけでもない。おそらく、彼らの心と共鳴しすぎて、2人分の心の共振の余韻が続いていた感じで、自宅という安息の場で、ようやくその感情が解放されたのだと思う。

リーダーとは、強さだけではなく、弱さに触れる存在でもあることを痛感した。誰かの心に寄り添うことで、自分の心も揺れる。その揺れを受け止めることが、私にとっての「覚悟」なのだと。

個の尊重は、未来への希望

私は、個の尊重にこだわることで、組織に「希望」を持ちたい。

それは、誰もが自分らしく働ける未来。 それは、違いを認め合える職場。 それは、対話が生まれる風土。

そして何より、それは「人間らしさ」を取り戻す営み。

企業は利益を追求する場であると同時に、人が集う場でもある。人が集えば、そこには感情があり、葛藤があり、物語がある。その物語を、ひとりひとりが紡げるような組織でありたい。

おわりに——「気を使う」のではなく、「気を配る」組織へ

社員の方からの言葉をきっかけに、自分の価値観を見つめ直すことができた。

「気を使う」のではなく、「気を配る」——その違いは、相手を「尊重しているかどうか」だと思う。

私はこれからも、社員ひとりひとりの「物語」に耳を傾けていきたい。そして、全体主義ではなく、「個の集合体」としての組織を育てていきたい。

それが、私のリーダーシップのかたち。

筆者紹介:風を読む人事家
自動車業界で、人事~海外子会社CEO~人事担当役員などを経て当社へ。社員の幸福感・血の通った組織・業績と経営へのインパクトに拘って、あらゆる人事・組織の理論と実践を行き来しながら、組織という名の“生き物”と格闘してきた。フィールドを建設業界に移し、今日も人と組織の“幸福感”を追求中。
週末のライフワークである人事・組織理論の読書の傍らで徒然なるままに書き溜めたブログです。
建設業のリアルな現場でも実践し得られたことの共有や、人事・組織論の視点から、世の中の矛盾や不条理を鋭く、時に皮肉を交えて切り取ります。
業種を問わずさまざまな企業の中で「なんとなくモヤモヤしている」「組織の中で立ち止まっている」そんなあなたの思考に一石を投じるヒントがここにあるかもしれません。
2025年7月より当社代表取締役社長