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#034 感受性とは、世界との境界に宿るもうひとつの知性 【心と言葉|心篇】

感受性は涙だけじゃ測れない

「感受性が豊か」という言葉には、どこか固定化されたイメージがつきまとっている。
涙もろくて、人情深くて、ドラマや映画に感情移入してすぐ泣ける——そんな人物像が典型として思い浮かぶだろう。

しかし、最近つくづく思う。
感受性の発露は、ほんとうに人それぞれだということである。

涙を流す人もいれば、言語化する人もいる。
語らないまま噛みしめる人もいれば、サラッと笑いながら心の深いところを動かしている人もいる。
同じ“感じる”という営みでも、外に出る形は実に多様である。

表に出ない感受性ほど、深かったりする

淡々としている人がいる。
マイペースで、テンションの上下も少なく、どちらかというと何を考えているのか読み取りにくいタイプだ。
一見すると“クールでドライ”に見えるが、ふとした瞬間に核心を突く言葉を返してくれる。

「今日の○○さん、少ししんどそうでしたね」
「今のアドバイス、あの方には刺さったと思います」

涙を見せるわけでもないし、派手な反応をするわけでもない。
だが、周囲の微細な変化を拾い、それを静かに心の中で咀嚼している
こういう人は、自分の内側で豊かな対話をしている。
つまり、触覚のように繊細な感受性が奥深くに宿っているのだ。

むしろ、言葉にしないからこそ、その感受性が“沈黙の深さ”として積み重なっていくのだと思う。

「表現=感受性」ではない

社会には「感情表現が豊か=感受性が豊か」という通念がある。
泣いたり、怒ったり、共感を言葉にしたり——そういう“見える反応”があると分かりやすい。

だが、これは一部の事実にすぎない。

感じていることと、表すことは別物である。

たとえば、こんな人がいる。

・深く傷ついても表情を崩さない
・誰よりも他者の痛みに敏感なのに、それを声に出さない
・周囲の空気の乱れにすぐ気づいても、表では平静を保つ

こうした人は、内側で世界を丁寧に受け取り、静かに処理している。
それを“外側の表現”だけで判断すれば、「鈍感な人」と誤解されることすらある。

人は、同じ色を違う色鉛筆で描いているだけなのだ。

組織で誤認する危うさ

企業の中では、声が大きい人や感情が表に出る人が目立つ。
逆に、静かで淡々としたタイプは「あまり感じていない」「無関心」と誤認されがちだ。

しかし、静かな人の中には、
誰よりも繊細に組織の“揺れ”を察知している人がいる。

彼らは、

・同僚のささいなため息に気づく
・スタッフ同士の目線のズレを感じ取る
・いつもと違う沈黙の質を拾い上げる

こうした「目に見えない変化」を捉えるセンサーになってくれる存在だ。

もし経営者や管理職が、
“表に出る感情だけ”を評価軸にしてしまえば、
この大事なセンサーを見逃してしまうことになる。

組織が鈍くなるのは、往々にしてこういうときだ。

感受性を“静かに持つ人”が安心出来る職場へ

感受性が豊かな人は、時に自分の感じやすさに疲れてしまう。
とりわけ、それを外に出せないタイプの人ほど、自分を抑え込んでしまいがちだ。そして周囲の人が異変を察知しづらい。

だからこそ、組織は次のような風土を育てたい。

・感じ方に優劣をつけない
・表現の大きさに惑わされない・評価しない
・言葉にならない気配も尊重する

人の心の動きは、音量では測れない。
音の大きい人が豊かで、静かな人が淡白なのではない。
それぞれが、自分の“方法”で世界に触れているだけだ。

感受性の多様さが組織を豊かにする

涙もろい人もいい。
口数が少ない人もいい。
丁寧に言葉にする人もいい。

大切なのは、誰もが自分の“感じ方のまま”にいられることである。

感受性は、強さや弱さではない。
派手さや地味さでもない。
それは、人が自分らしく世界と触れるための“個性そのもの”である。

そして私は、
こうした多様な感受性が寄り集ま理、尊重できる組織こそ、
もっとも温かく、もっとも強い集団だと信じている。

筆者紹介:風を読む人事家
自動車業界で、人事etc.~海外子会社CEO~人事担当役員を経て当社へ。人事・組織論の長年の実践知を注入し、「社員の幸福感」と「経営へのインパクト」との両立に挑戦中。
週末のライフワークである人事・組織理論の読書の傍らで徒然なるままに書き溜めたブログです。
建設業のリアルな現場での実践知の共有や、人事・組織論の視点から世の中の矛盾や不条理を鋭く、時に皮肉を交えて切り取ります。
業種を問わずさまざまな企業の中で「なんかモヤモヤしてる」「組織の中で立ち止まってる」そんなあなたの思考に一石を投じるヒントがここにあるかもしれません。
2025年7月より当社代表取締役社長