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#038 説教は風化する。生き様は場に刻まれる。ーー次世代からの期待は“講義”ではなく“実演”
生き様で示すことの価値を問い直す
「知っていることを語る人」より、「信じていることを生きる人」が、結局、場を動かす——会社という共同体で前職でも現職でも思うことである。
我が社には、80歳になる顧問がいる。大手ゼネコン出身で、地域に数々の“作品”を残してきた建築人だ。約20年前に解体業である我が社に転身され、以来現場に寄り添い、今日もなお、志を胸の中心に据えたまま、フルスロットルで動かれている。年金受給に差し障りのない報酬設定で相当な「余剰労働」で本当に頭が下がるが、アウトプットは燻し銀だ。
解体工事は「可能性の解放」だ。例えば、耐震が心許ない団地が解体され、そこに血の通った施設や公園が生まれたなら、それは命と心を守る行為だ。彼は建築業と解体業、すなわち“未来を築く者”と“未来を創る”我々との間を、絶妙に媒介してくれている。要らないものを手放して、必要なものを据え付ける。それが解体の本質であり、経営や人生の本質でもある。
報酬が下がると、価値も下がるのか
大企業の概ね55歳以上はどうか。役職定年、定年延長の選択、シニア再雇用への移行、——たいてい報酬が下がる。多くの人において、下がった分だけやる気が下がり、創出する価値も「それなり」になる。だが問いは逆である。「もし報酬が下がらなかったら、何歳まで創出する価値を下げずにいられるのか」。これは制度論ではなく、生き方の話だ。
様々な企業の人事の仲間から聞く話は生々しい。60歳以降の社員の職場や仕事の調整で、特に元役職者において、本人の本音は「教える場」を求め、「実務はやる気がない」ことが多いというものだ。後半生を「しゃべり」で生きようとしているかの如く。中小企業への転身でも同様で、もはや意識は転職ではなく天下り。しかし、中小企業には知識・経験だけに報酬を払う余裕はない。(一定のニーズはあるだろうが・・・)
ここでズレが起きる。
後進にとって知識は自慢話にしか映らないということが理解出来ないのだ。もしそのように直接言えば「若者の学ぶ姿勢の問題だ」と一蹴するだろう。
人の尊敬は、言葉や能力ではなく、生き方と行動に向かう——かつて尊敬していた先輩はそうではなかったか、この現実を忘れてしまったのだろうか。
知識は「過去の栄光」、行動は「いまの信念」。後輩が見ているのは、口ではなく背中である。
人は居場所を守るために生きるようになる
しかし、責める気にはならない。
集団社会で生きていくことは楽じゃない。
家族や自尊心を守るため、周りに能力を認められ、居場所を手に入れるのに必死に戦ってきた。ひとたび自分の居場所を手に入れれば、今度はさらに居心地を良くするために一つ上の暮らし・地位・実績などを手に入れようと必死になる。家族に金が掛かるライフステージなら尚更に安全網を広げる。
そうするうちに、いつしか人は居場所を守るために生きるようになる。そのためだったら大抵のことはできるようになり、個としての生き方や信念ですら変えられるようになる。
安心感を求めるのは、生存本能だ。責められはしない。
だが、安定した生活の先には、目に見えないものに怯えるつまらない日々しか待っていない。誇りの所在を見失うと、人生は“退屈の迷宮”に転がり落ちる。
「今・ココ」を選んでいるのは自分であることを忘れて、不満足の原因を他人や環境や制度のせいにして愚痴を吐露する。後進の尊敬を失う悪循環に陥る。
「今・ココ」を選んでいるのは自分なのに。
我が社の80歳の顧問は、大手ゼネコンから転身した後、まず誇りを見直したに違いない。過去の栄光の再現を狙うのでは無く、どんな地味な仕事でも本気で取り組めば、人生の喜びはすぐそこにあると。心が、向けるべき場所を最初から知っているようだ。
リーダーシップは「過ちを改むる」技
「士は過ちなきを尊しとせず、過ちを改むるを尊しとなす。」
いつも思うのだが、我が社の顧問の一挙手一投足は、武士の倫理や技法を彷彿とさせる。彼からの学びは、年齢に必要なのは、知識・経験の披露よりも、手本であり続けようとする研ぎ澄まされた精神だということだ。本質を見失わず、無駄を削る。生活は規則正しく、できるだけ簡素に。万人に公平で、弱きに手を差し伸べる。目の前の安心より正しさを選択されているように思う。逆境や不安に動じず、信じる生き方を通す——この姿勢が、人の心を感化するのだ。
権威より風格。命令より示範。それが現場で効くリーダーシップだとあらためて気づかされる。
“自分との約束”に従うから「迷わない」
顧問から学ぶ姿勢はいくつもある。彼の姿勢は自分との約束を破らない。法を破れば償える、他人との約束を破れば陳謝出来る。だが、自分の美学を破ってしまったら、誰に償うのか…と言わんばかりだ。自分で達成すると決められたことに淡々と向き合われている。
自分の内側にあるもの——思いやり、礼儀、知ろうとする気持ち、約束を守る心、本音で語る勇気、失敗から学ぶ謙虚さ。これらは、求めれば無尽蔵に掘り出せる資源だ。外側の富名声人脈は、追うほど逃げる。内側の資源は、求めるほど世界が好きになる。費やして損はない。
行動の前に「目的」を確定せよ
行動計画の儀式は簡潔だ。
「この組織は今、何のために存在するのか」「自分は今、何のために働いているのか」。
まず、その答えを確認する。この手順を踏めば、一時しのぎではない夢につながる行動計画が立つ。
「力で支配する」のでは無く「風格で感化する」人には他人もひきつけられる。
腹が据わった人のおまじないは、シンプルだ。「やり続ける」。 淫らな誘惑も、未知の恐怖も、手軽な安心も、背骨に刻まれたこの言葉で越える。
過去の自分に惑わされるな——評判は傷ついても、生き方は傷つかない
一人の人間には多くの可能性がある。だが、過去の自分は「安全の助言者」として、可能性を制限する。居心地の良いセイフティゾーンに居続ける限り、本当にやりたいことはできない。
志は、現状維持を否定する。今のシステム・考え方・ルールを飛び越えないと実現しないものに目を向ける。
未来は今、心で決めることで決まる。いつからでも、どこからでも。 評判は傷ついても、生き方は傷つかない。生き方を傷つけるのは、自分だけだ。
「学び続ける人」が、立ち続ける
勉強が不得手でも最善を尽くせば良い。だが、勉強している人が最善を尽くしたら、それにはかなわない。 いつまでも一線で活躍したいなら、経験だけに頼らず、本質を学び続けることを怠ってはならない。
・知識は過去、行動は現在
・行動の前に、知識を一度疑う
・教えるために学ぶのでは無く、使うために学ぶ
得た知識を、自分ならどう役に立てるか——身の回りに照らして使ってみる。すると、誰に何を問われても、堂々と答えられる。
「説教」より「生き様」——次世代は講義では動かない
結局、次世代が見ているのは、「何を語るか」ではなく「どう生きるか」である。知識の“伝授”は、本人の生の“実演”に負ける。 人類は、一つのことに本気で取り組む姿に心を動かされる。人は、何のために生きるかで決まる。目標が思い出せないなら、今すぐ思い出した方がいい。
貯蓄資金の多さ、家の大きさ、車の格、地位や役職、名誉、そういうものに心が揺れるのは人情だ。だが、人生は危うい。だからこそ、「自分はどう生きたいか」に従って生活する。——それが人の道ではないだろうか。
我が社の顧問は、惜しみなく教え、年下にも頭を下げて教えを請う。道を極める者は、知識太りを恥じ、学ぶほど使う。語るほど動く。立つ人は多いが、立ち続ける人は少ない。立ち続ける人の背には、静かな覚悟がある。「やり続ける」。その言葉を背骨に叩き込もうと思う。
そして、我々の仕事——解体——は、過去の栄光を壊す作業ではない。未来の可能性のために、いま要らないものを手放す作業だ。会社も人生も同じである。要らない説教を壊し、生き様を据え付ける。 講義より実演。次世代は、その背中にしか付いてこない。
いま、あなたの周りに人が集まる理由は、あなた自身の志か、肩書きに引き寄せられた人影か。
言葉で場を制するのか、背中で場を正すのか。
社名と役職が剥がれたとき、なお同じ生き様で立っていられるか。
筆者紹介:風を読む人事家
自動車業界で、人事etc.~海外子会社CEO~人事担当役員etc.を経て、2024年当社へ。2025年7月より当社代表取締役。
長年培ってきた人事・組織論の実践知を、建設業のリアルな現場にも注入し、社員の幸福の追求と経営との両立に挑戦中。
人文科学を経営に注入した実践知を週末ブログにしたためて発信中。
業界や企業の枠を超えて、組織の中で「なんとなくモヤモヤしている」「思考が立ち止まってしまっている」——そんな働く人の心にそっと寄り添い、心が少し軽くなり、前に進むためのヒントとなれば幸いである。
