社長ブログ/お役立ち情報

#044 愛することは、“技術”だ——「関係」は、フィーリングではなく日々の姿勢でできている

フィーリングで始まり、気づけば放置していた「いちばん大切な関係」

僕はこれまで、職場におけるコミュニケーションや人間関係についてばかり執筆してきた。
上司と部下の関係、対話の技術、マネジメントスタイル、チームビルディング…
どうすれば人は動き、関係は育ち、組織は健やかに回るのか——そんなテーマだ。

……なのにだ。
ふと冷静になると、僕はとんでもないことに気づいてしまった。

いちばん大事なはずの“妻との関係”だけが、ずっとフィーリング頼みだった……。

どうか妻が、僕のブログを読んで——「職場の関係構築を語る前に、やるべきことがあるんじゃないの?」なんて先に悟っていませんように。
ようやく今気づいた僕が、技術によって“愛を育てる側”に回れた頃に、「あ、そういうことね」と気づいてくれ。
そう神様に願うばかりだ。

出会った時は、まさに「ビビビっときた」。理屈ではなく感覚だった。
その後も、いちいち価値観が合う感覚に喜びを感じていたことを覚えている。

しかし、だんだん、言葉にするより先に「まあ、分かってくれているだろう」と構えてきた気がする。

もちろん、変わらず愛もあるし、思いやりも持っているつもりだが、「あー思いやりに欠けていたなぁ・・・」と我に返って反省しては、次は気をつけよう、ちゃんとしようと思うことの連続だ。

しかし冷静に考えると、そこには一貫した「技術」が存在しない。
感覚と反省の繰り返しだ。
それで本当に、愛は太く、長く続くのだろうかと、今思う。

なぜ仕事の関係には「技術」を使い、愛には使わないのか

職場の関係について、私たちは驚くほど技術的だ。
相手の立場に立つ。目的を共有する。課題と感情を切り分ける。対話の前提を整える。
これらは無意識ではなく、学び、訓練し、意識して使う。うまくいかなければ振り返り、やり方を変える。

ところが、愛する人との関係になると途端にこう言う。
「フィーリングが大事だ」
「技術に頼るのことは計算高い」
「自然であるべきだ」

だが本当にそうだろうか。
関係を大切にしたいからこそ、技術が必要なのではないか。

技術とは、打算や操作ではない。
再現性をもって、相手を尊重し続けるための知恵だ。

「愛は感情ではなく、選択である」

最近アドラーやフロムに傾倒し岸見一郎先生の本を読み漁っている。
そこでは愛を単なる感情とは捉えない
むしろそれは「勇気をもって他者に関心を向け続ける行為」だと。

つまり愛とは、相手を所有せず、支配せず、依存せず、相手の人生を相手のものとして尊重する姿勢だ。そして、相手の成長と幸福を願い、そのために行動することだ。

感情は揺れる。気分も状況も変わる。
だからこそ、愛は「自然に続くもの」ではなく、育て続けるものになる。

ここにこそ、技術が必要になる。

恋は「奪う」感覚、愛は「差し出す」技術

ついでに触れておきたいのが、「恋」と「愛」の違いだ。

恋は、多くの場合、感覚から始まる。なんといっても“落ちる”というほどだから。
相手に惹かれ、求め、欲しくなる。これは自然だ。
しかし恋は、「自分に何を与えてくれるか」が軸になりやすい。

一方、愛は逆だ。
相手に何を差し出せるかを問い続ける。
そしてこれは、放っておいてできるものではない。
観察し、理解し、選択し、行動する。
明らかに「技術」の領域である。

技術を使うことは、冷たさではなく、誠実さだ

「夫婦関係に技術を使うなんて、打算的で冷たい」
そう聞こえるかもしれない。

だが僕は、こう思う。
技術を学び取り入れようとする姿勢こそ、誠実なのではないかと。

感覚に任せるということは、実は相手に甘えている側面もある。
「分かってくれるだろう」という期待を、無自覚に押しつけてしまう。

愛を技術として捉えるとは、
分かり合う努力をやめないと決めることだ。

いちばん近い関係から、人生は整っていく

職場の関係を整えたいなら、まず家庭が整っている必要がある——そんな単純な話ではない。
だが少なくとも、
いちばん身近な関係に向き合えないまま、他者との共同体感覚を語ることはできない

愛することは、技術だ。
そして技術は、学べる。

感覚に救われる瞬間も多いにある。

とはいえ人生を支えるのは、意識して選び続けた行為の積み重ねだ。

愛が「所有」ではなく「流れ」だとしたら、
あなたは今、誰かの自由をどんな形で扱っているだろうか。

(本文は一旦終る。そして僕も実践する具体事例は以下に付録する。)

付録 | 愛する技術 具体例集 (実践メモ)

1 ) 「分かってほしい」を言語化する技術(課題の分離)

✕「なんで分かってくれないの?」
◯「ここを気にかけてもらえると嬉しい」

察してほしいは自分の課題。察するかどうかは相手の課題。
だから、責める代わりに言葉で渡す。これは甘えではなく、関係維持の技術である。

2 ) 正しさより「目的」に戻る技術

家庭では正論が最強の凶器になる。
闘論が始まりそうになったら、心の中でこう問い直す。

これは勝ち負けの話か、関係の話か。

“勝つ”より、“続ける”。
その判断ができるだけで、だいぶ傷が減る。

3 ) 勇気づけの技術(褒める≠評価)

アドラーは「勇気づけ」を重んじる。
「すごいね」「さすが」は上下関係における評価になりやすい。
代わりにこう言う。

「話を聞いてくれて助かった」
「いてくれるだけで安心した」

これは相手を“真のパートナー”として扱う言葉だ。

4 ) 介入しない勇気(相手の課題に踏み込まない)

助けたい気持ちが強いほど、口を出したくなる。
だが助言の多くは、愛ではなく支配に化ける。

これは相手やその行動を支配したくて言っているのか?

この一拍で、踏み込みすぎを防げる。

5 ) 感情が荒れている時は「扱わない」技術

怒り・疲労・不安が強い時、人は対話できない。
「今ここで決着」を手放し、落ち着いてから再開を選択する。
これは逃げではなく、関係を守る戦略である。

おまけ ) 【私の超具体的な事例】“問題解決”を手放し、傾聴を徹底したら会話が楽しくなった話

キャリアカウンセリングの試験勉強をしていて痛感したことがある。
僕はつい傾聴が浅くなり、問題解決をして答えを授けてしまう癖があった。

その癖を矯正するために決めた。
妻からの話や相談は、傾聴を徹底する」と。(まだまだだが・・・)

たとえば——
「この色の服とこの色の服、どっちを買おうか迷ってる」と相談されたとき、以前の僕なら心の中でこう考えていた。

たぶん答えは決まっているぞぉ、僕の好みはこっちだけど、まずは“どう思ってるの?”と聞いてみるか。

一見それっぽい。だが、どこか“保険”の匂いがする。
相手の中にあるものを信じているようで、実は自分がその場を穏便にコントロールしたいだけだったのかもしれない。

キャリアカウンセリングのコンセプトは明解だ。
答えは本人の中にある。本人の物の見方、考え方、大事にしていることにこそ答えがある。

この前提に腹落ちしたとき、僕の傾聴は変わった。
「無難に質問する」のではなく、相手の内側に敬意を払って聴くようになった。

すると不思議なことが起きた。
その日から妻との会話が格段に楽しくなった。
妻は楽しそうに自分の心との対話を語ってくれる。
正解を当てるゲームではなく、相手の世界を旅する時間になったからだ。

——愛する技術の核心は、案外こういうところにある。

【ブログの内容を、よりビジネス視点で読み解く音声対談番組『解体しながら、話そう。』】

【お忙しいあなたに、ブログの内容を音声でお届けする音声番組『ブログを読むラジオ』。ご移動時間などにどうぞ。】

筆者紹介:風を読む人事家
自動車業界で、人事etc.~海外子会社CEO~人事担当役員を経て当社へ。人事・組織論の長年の実践知を注入し、「社員の幸福感」と「経営へのインパクト」との両立に挑戦中。
週末のライフワークである人事・組織理論の読書の傍らで徒然なるままに書き溜めたブログです。
建設業のリアルな現場での実践知の共有や、人事・組織論の視点から世の中の矛盾や不条理を鋭く、時に皮肉を交えて切り取ります。
業種を問わずさまざまな企業の中で「なんかモヤモヤしてる」「組織の中で立ち止まってる」そんなあなたの思考に一石を投じるヒントがここにあるかもしれません。
2025年7月より当社代表取締役社長