社長ブログ/お役立ち情報

#046 異文化の単位は「国」ではなく「個人」——海外赴任前研修と障害者雇用で辿り着いた人的資本経営の境地

「異文化コミュニケーション」と聞くと、多くの人は国籍の違いを思い浮かべる。
日本人と欧米人、アジアと中東……といった具合に、地図の上に線を引きたくなる。

僕自身が海外駐在から帰国し、人事責任者を担っていた頃、海外赴任者向けに異文化コミュニケーション研修を企画し講師をしていた。
人に教えているつもりだったが、自らの海外駐在での学びと相乗し、悟りが深まっていき、そこで辿り着いた結論は少し意外だった。

異文化の単位は、国ではなく、個人ということだ。
その学びは、海外に行ってから始まるものではなく、日本にいる今この時から感性を磨くことができる。

そしてその延長線上で、多様性どころか究極の人的資本経営について、自分なりの答えに辿り着いた。

今日は、その結論に辿り着くまでの道のりを、前半は多くの企業で取り入れられている異文化コミュニケーション研修さながらに、できるだけ具体的に書き残してみたい。

海外赴任前「異文化コミュニケーション研修」の軸

研修で大事にしていたのは、「国ごとのマナー集」を覚えることではない。
もっと根っこの部分——自分の当たり前をいったん脇に置いて、外国人の当たり前に触れる練習である。

当時、必ず扱っていた要素が次の4つだ。

是非、各要素ごとに、日本、アジア(東・東南・南)、欧、米、、、がどうなのかをイメージしながら読み進んでいただきたい。

① 言語 vs 非言語——“言葉以外”がメッセージの半分を決める

海外駐在で最初に起こるのは、語学の壁……だけではない。
実際は、言語よりも先に、非言語のズレが関係性をこじらせることがある。

ジェスチャーが大きいか小さいかと言えば、国による違いを理解し易いかもしれないが、それは一つに過ぎない。表情(笑顔/無表情)、沈黙、間(ま)、視線、声量・トーン、距離感、姿勢、反応速度(即答か、間を置くか)などの違いによって、同じ言葉を発しても、相手の受け取り方は変わる。
だから異文化理解は、語彙の前に、“読み取り方の癖”を自覚するところから始まる。

② ハイコンテキスト vs ローコンテキスト——“察して”が通じる世界と、通じない世界

日本は比較的ハイコンテキスト(前提共有が厚い)と言われる。
「言わなくても分かる」「空気を読む」「行間を読む」が成立しやすい。

一方、ローコンテキスト(前提共有が薄い)寄りの文化では、明示が基本になる。前提が共有されていないのだから、言葉にしないと“存在しない”のと同じになる。会議で黙っていたら、意思表示をしない人になる。

ここで起こる典型的な事故がある。

・こちら:「ここまで言えば伝わるはずだ」
・相手:「言ってないことは、聞いていない」

これは知識として知っていても、現場で痛い思いをしないとなかなか腹落ちしない。
だからこそ、セミナーでも何度も扱った。契約書についての考え方も然りだ。

③ 年功序列 vs 能力主義——“敬意の置きどころ”の違い

年功序列か能力主義か、という話は制度の違いに見える。
だが現場では、もっと人間的なところで効いてくる。

つまり、誰に対して、どんな理由で敬意を払うかである。

・年齢や在籍年数が、人格への敬意に繋がりやすい世界
・役割・成果・専門性に、敬意が集まりやすい世界

儒教の影響を受ける日本を含めた東アジアで年長者を敬う意識が強いと言えばわかりが良いだろうか。

同じ会議でも、発言権が「肩書」に紐づくのか、「役割」に紐づくのかで空気が変わる。
誰が話すのか、誰が決めるのか——その設計図が違うのだ。

④ 権威主義 vs 平等主義——“上司とは何か”の定義が違う

かつての韓国の航空会社では、副操縦士が機長のミスに気づいていながら指摘しにくいことが、特に90年代後半の連続事故の要因と分析された経緯がある。

権威主義か平等主義か、という違いは、「叱り方」や「議論の仕方」に直結する。

・上司に異議を唱えるのは「失礼」なのか「誠実」なのか
・会議で黙っているのは「配慮」なのか「無関心」なのか
・指示を守ることが信頼なのか、意見を言うことが信頼なのか

ここを外すと、本人は良かれと思っているのに、相手には“別の意味”に見えてしまう。
そうして誤解が積み上がると、仕事の問題ではなく、関係性の問題に変わってしまう。

⑤ 指示型マネジメント vs 合意形成型マネジメント——“動かし方”の前提の違い

マネジメントスタイルの違いも、異文化コミュニケーションを語るうえで外せない要素である。

イーロン・マスクがX社の社長となって強烈なトップダウンで経営をする例はあまりに象徴的過ぎる。指示型マネジメントは、「何をどうやるかを明確に示すことで、人は安心して動ける」という前提に立つ。誰が決め、誰が実行するのかがはっきりしており、スピードや統制が重視される。

一方、アジアなどではミドルマネジメントも媒介する合意形成型マネジメントは、「納得と参加感があってこそ、人は力を発揮する」という前提に立つ。結論に至るまでの対話や背景共有そのものが、信頼関係をつくる。

ここで起こるズレは、この短い問いに集約される。

・こちら:「なぜ指示通りに動かないのか」
・相手:「なぜ納得もなく決めてしまうのか」

これは能力や意欲の問題ではない。人が安心して動ける“前提”が違うだけである。

「国の違い」のはずが、「個人の違い」に行き着いた

異文化コミュニケーション研修、最初はこのように国や世界のエリアの傾向を前提として進めていた。

しかし、僕が赴任していた国でも、そのような傾向や分類に当て嵌まらない仲間は大勢いた。
帰国した後、日本で一緒に仕事をする仲間達も同様だ。

・「ストレートに言ってくれた方が楽なんです」という人がいる
・「ストレートは怖い。まず関係性がほしい」という人もいる
・「結論から言ってくれないと不安」という人がいる
・「背景が共有されないと納得できない」という人もいる

このあたりで僕の頭の中に、はっきりとした問いが生まれた。

これ、国の違いというより、
その人が何に安心するか、何を大切にするかの違いではないか?

この違いは、国別の分類では説明しきれない。
むしろ、目の前の人の“安心の条件”を知らずに話すと、簡単にすれ違う。

いつしか僕は、セミナーの結びでいつもこう伝えていた。

異文化とは、国と国の違いではない。
個人と個人の違いだ。
そしてそれは、海外に行ってからではなく、日本にいる今この時から学べる。

海外駐在者向けの研修なのに、着地は驚くほど国内的だった。
だがそれでいい。結局、異文化とは「距離」ではなく「ズレ」だからだ。
ズレは、いつだって目の前にある。

障害者雇用の現場で同じ結論が現実として繰り返された

障害者雇用やその後の就業支援に関わる中で、何度も目の当たりにしたのは、あるシンプルな事実である。

不得手なところをケアできれば、その人のマックスポテンシャルを引き出せることがほとんどだった。
むしろ環境が整うことで、その人の持ち味が立ち上がり、チームが救われる場面すらあった。

ここで重要なのは、「特別扱い」ではないことだ。
やっているのは、たった一つ。

その人が力を出しやすい形に、環境を調整する。

例えば発達特性のある方の場合、
・指示が曖昧だと混乱するなら、指示を具体化する
・見通しがないと不安なら、事前に段取りを共有する
・同時進行が負担なら、タスクを分割して順序を明確にする
・雑談が苦手なら、雑談で埋めずに“業務の橋”を作る

こういう調整は、「甘やかし」ではない。
能力が発揮される条件を整えるだけである。

それは全社員それぞれにやっていることだし、
自分だってこれまでの上司や周囲の方に色々配慮してもらったから今がある。

ここでも僕は同じところに帰ってきた。
結局、僕らが向き合っているのは「属性」ではなく
個人差なのだ。

僕自身にも苦手はある——だから「違い」を矯正したくない

僕だって万能ではない。苦手はある。
得意な環境と、不得意な環境とがある。

だから、他者の苦手を見たときに思う。
「できない人」ではなく、「やり方が合っていないだけ」のことが多い。
そして、その調整は、本人の尊厳を守ることでもある。

海外駐在の異文化も、障害者雇用の現場の特性も、根っこは同じだ。
人には違いがある。違いは悪ではない。
悪になるのは、違いを“間違い”として扱ってしまうときだ。

多様性は、制度ではなく「寛容さ」

多様性という言葉は、立派で、抽象的で、どこか遠い。
けれど僕が辿り着いた多様性は、もっと小さくて、日常的だ。

・人には持ち味がある
・人には苦手がある
・人には安心の条件がある
・同じ言葉でも、刺さり方が違う

この「個人差」を、排除せず、矯正せず、笑わず、罰せずに、受け入れる。
必要なら調整し、橋をかける。

それこそが、多様性の実体なのではないかと思う。

僕にとっての人的資本経営

世間で言われる「人的資本経営」の“枠組み”の説明は割愛する。
「個の尊重」の境地に立つと、そんな大きなユニットの“枠組み”はどうでもよくなる。リスキリングや学び直しの本質も見えてくる。

僕にとっての人的資本経営を大好きな山登りに例えるなら、険しい山を登る際、装備を一律支給して、あとは各自で何とかしろではなく、各自にとっての最適な準備と道具を揃え、全員で頂上からの景色を見るために一歩一歩を進むチームのような姿だ。会話と助け合い多め。

海外に行かなくても、異文化は毎日、目の前にある

異文化は、飛行機に乗った先にあるものではない。
同じ職場の中にある。家庭の中にもある。今日の会議の中にもある。
異文化は、海外に行かなくても毎日、目の前にある。

そしてそれは、怖いものではない。
ただ「違う」というだけだ。

僕らにできることは、たぶん一つだけである。

相手が心地よく力を出せるように、少しだけ想像し、少しだけ調整する。

異文化とは国の違いではなく、個人の違い。
だからこそ——日本にいる今この時から、学べるのだ。

それでも私たちは、「違い」を「間違い」として扱ってしまっていないだろうか。

あなたは今、「違い」を「正そう」としていないだろうか。


【ブログの内容を、よりビジネス視点で読み解く音声対談番組『解体しながら、話そう。』】

一両日中に公開予定

【お忙しいあなたに、ブログの内容を音声でお届けする音声番組『ブログを読むラジオ』。ご移動時間などにどうぞ。】

一両日中に公開予定

筆者紹介:風を読む人事家
自動車業界で、人事etc.~海外子会社CEO~人事担当役員を経て当社へ。人事・組織論の長年の実践知を注入し、「社員の幸福感」と「経営へのインパクト」との両立に挑戦中。
週末のライフワークである人事・組織理論の読書の傍らで徒然なるままに書き溜めたブログです。
建設業のリアルな現場での実践知の共有や、人事・組織論の視点から世の中の矛盾や不条理を鋭く、時に皮肉を交えて切り取ります。
業種を問わずさまざまな企業の中で「なんかモヤモヤしてる」「組織の中で立ち止まってる」そんなあなたの思考に一石を投じるヒントがここにあるかもしれません。
2025年7月より当社代表取締役社長