社長ブログ/お役立ち情報
- 浜松の解体業者 丸友開発 トップ
- 社長ブログ/お役立ち情報
- サイトマップ
#057 「沈黙」を奪うな——そこにしか宿らない真実
(明日から第32回 国家資格キャリアコンサルタント試験が全国で始まる。人を幸せに導かんとするすべての受験生へのエールとして本稿を記す。)
「言葉は心を覆い、沈黙は心を写す。」
「言葉は心を覆い、沈黙は心を写す。」
空海のこの言葉を聞いたとき、私は思わず立ち止まった。
これまで私は、ブログの中で繰り返し「言葉の力」について語ってきた。
言葉は人を救い、組織を変え、関係性をつなぎ直す。そう信じて疑わなかった。
しかし今、あえて立ち止まりたい。
言葉では届かないものが、「沈黙」のなかに確かに息づいていると知ってしまったからだ。
語られない時間のほうが、心をより鮮やかに映し出すことがあると気づいてしまったからだ。
私自身、その考えを揺さぶられるような体験をしていたことを思い出した。
語られなかった20分
それは、国家資格キャリアコンサルタントの実技試験だった。
20分間のカウンセリング。
相談者が口にした言葉は、たった3回、
「う〜ん、今の職場、やりがいがないんですよねぇ…」
それだけ・・・・・間欠的に・・・・たった3言だった。
もちろん私は、その言葉の背後にある経験や感情に触れようとして、いくつか問い掛けをした。
どんな場面でそう思うのか。
何がそう感じさせるのか。
その人の内側にある経験に、少しでも近づきたかった。
しかし、その多くの時間を占めたのは——「沈黙」だった。
立ち止まる選択
しかし、ただの沈黙ではなかった。
その人は、明らかに頭の中で情景を浮かべていた。
過去を辿り、感情を確かめ、言葉にならない何かに触れようとしていた。
“自分との対話”が、そこにあった。
私はそのとき、迷った。
この沈黙を破るべきか、それとも待つべきか。
問いを投げれば、何か言葉が返ってくるかもしれない。
しかし同時に、その問いが、今まさに始まっている内省を遮ってしまう——そんな予感があった。
私は、心の声を傾聴することを選んだ。
沈黙は、対話の時間である
試験後、試験官に問われた。
「カウンセリング中、あなたが出来たことは何ですか?」
私はこう答えた。
「沈黙の間、相談者は必死で内省され、自分との対話をされていました。
その貴重な時間を、私の問いで侵さなかったことです。」
実技試験合格だった。
けれど、本当に大きかったのは合否ではない。
あの20分間を境に、私のなかで「対話」の定義そのものが変わったことである。
対話とは、言葉を交わすことだけではない。
むしろ、人が自分自身と向き合っている時間を、壊さずに共にいること。
それもまた、非常に深い対話なのだと知った。
沈黙は、会話が止まっている時間ではない。
内面で何かが動いている時間である。
思考が生まれ、感情が浮かび、まだ言葉にならない真実が、静かに姿を現そうとしている時間である。
言葉が覆い、沈黙が映す
それ以来、私は「沈黙」に対する見方が変わった。
キャリア面談でも、会社の仲間たちとの会話でも、そして妻や子供たちとの時間でも。
相手の沈黙を、埋めるべき“空白”ではなく、“意味のある時間”として感じるようになった。
むしろ、軽率な言葉でその時間を汚してはいけない——そう思うようになった。
以前なら「何か言ったほうがいいのではないか」と思っていた場面で、今はむしろ、その沈黙の意味を感じ取ろうとするようになった。
沈黙は、ただの空白ではない。
そこには、まだ傷つけたくない感情があり、簡単にはまとめたくない記憶があり、軽い言葉にはしたくない本音が眠っている。
だからこそ、その時間はかけがえがない。
こちらが気まずさに耐えきれず、言葉で埋めてしまえば、たしかに場は進むかもしれない。
だが、瞬間に失われるものもある。
相手がようやく触れかけていた本心。
ようやく形になりかけていた違和感。
ようやく出会えそうになっていた、自分でも知らなかった本当の気持ち。
それらは案外、こちらの何気ない一言で、簡単に霧散してしまう。
言葉は大切である。
だが、言葉はときに心を覆う。
うまく説明しようとするほど、本質から遠ざかることもある。
筋の通った話をしようとするほど、ほんとうの痛みを見失うこともある。
一方で、沈黙はごまかしが利かない。
そこにいる人の呼吸や視線や間の取り方が、そのままその人の現在地を映し出す。
だからこそ、沈黙には真実が宿ることがあるのだと思う。
多くを語らない人ほど、深く感じている。
私はこれまで、そんな場面に何度も立ち会ってきた。
言葉にしない人は、何も考えていないのではなく、
むしろ言葉にできるところまで“軽くしていない”のではないか。
沈黙は、思考停止ではなく、むしろ高回転で思考している最中である。
言葉は誠実さを保証しない
そして、逆説的にもうひとつ気づいたことがある。
これまでいろんな人と出会い言葉を交わしてきたが、
行動を伴わない言葉、
真実を伴わない言葉は、多ければ多いほど誠実さから遠ざかっていく・・・
私は知らず知らずのうちに、そうした言葉を重ねる人との距離を、少しだけ置いていることに気が付いた。
逆に、口数は多くなくても、佇まいや間の取り方に、その人の誠実さがにじみ出る人がいる。
言葉巧みではない。
説明もうまくない。
けれど、その人の沈黙には嘘がない。
私は知らず知らずのうちに、そういうところを見ているのだと思う。
そして、真実を伴わない言葉に触れるたびに、その人との縁を少しずつ遠ざけようとしている自分がいる。
言葉は誠実さを自動的に保証してはくれない。
その言葉の背後に行動があるのか。
覚悟があるのか。
そこに、人間は敏感なのだと思う。
言葉そのものではなく、
「言葉と現実とのズレ」に、“誠実センサー”の針が振れるのだと思う。
沈黙は、その人を映す
沈黙は、何も語らない。
けれど、その人の在り方をそのまま映し出す。
表情。間。呼吸。佇まい。
そこには、飾ることのできない“誠実さ”が滲み出る。
言葉を超えたところで、私たちはすでに伝わり合っている。
もちろん、言葉は必要だ。
言葉があるから、私たちは理解し合おうとできる。
言葉があるから、誤解を解き、関係をつなぎ直せる。
けれど・・・
言葉で時間を埋め尽くせる関係と、
沈黙を共にできる関係とでは、どちらが真に深いのだろうか。
あの試験の20分間。
ほとんどが沈黙で埋められていたにもかかわらず、
私は確かに「対話」をしていた感覚がある。
いや、むしろ
沈黙だったからこそ、対話が成立していたのかもしれない。
沈黙を怖れて、言葉で埋めていないか。
相手の内省を、善意の問いで遮っていないか。
そして自分自身も、
沈黙の中でしか出会えない“本音”から、目を逸らしていないか。
あなたは、沈黙とどこまで共にいられるだろうか。
筆者紹介:風を読む人事家
自動車業界で、人事etc.~海外子会社CEO~人事担当役員を経て当社へ。
人事・組織論の長年の実践知を、建設業のリアルな現場に注入し、組織と人の可能性を探究している。
一貫して向き合ってきたテーマは、
「社員の幸福感」と「経営へのインパクト」とを両立すること。
その問いに真正面から挑戦し続けている。
本ブログは開始当初から一貫して、毎週末に書き、毎週末に届けている。
激動の経営の中で見失いそうになる“自分”を、週末にそっと拾い直すための思索の記録でもある。
現場のリアルと人文知が交差する中で、
世の組織の中に潜む矛盾や不条理を鋭く、時に皮肉を交えて言葉にする。
もしあなたが、
「このままでいいのだろうか」と、ふと立ち止まったことがあるなら。
その言葉にしきれない違和感や揺らぎに、名前を与えるヒントが、ここにあるかもしれない。
2025年7月より当社代表取締役社長
