社長ブログ/お役立ち情報
- 浜松の解体業者 丸友開発 トップ
- 社長ブログ/お役立ち情報
- サイトマップ
#058 人は希望ではなく“意味”によって生き延びる——僕がファイティングポーズを下ろさない理由
#055 では「後悔」から未来への学びを、#056 では「後悔」してクヨクヨする時間を排除する思考法を記した。そして今回も・・・
自己矛盾の「後悔」三部作だ・・・
「後悔がなくなったら終わりだ…」
変な話だが、本気でそう思う。
多くの人は後悔をなくしたいと願う。
僕もそうだ。
もっと効率よく。
もっと計画的に。
もっと生産的に。
そうすれば後悔を減らせると思っている。
しかし、あることに気づいた。
もし僕から後悔がなくなったら。
そのときはきっと、大切な何かを失ったときなのだと思う。
なぜなら、
後悔があるから意味があるのではない。
意味があるから後悔するのだ。
今日は、そのことについて書いてみたい。
僕は、その景色を知ってしまった
僕には忘れられない景色がある。
前職時代、熊本と台湾の子会社で仲間たちと築き上げた組織の姿だ。
社員一人ひとりが自分の仕事に誇りを持ち、逆境をバネにイキイキと働いている職場。
家族もそれを誇りに思っている姿。
互いを尊重しながら、それぞれの持ち味を発揮している仲間たち。
地域や社会から必要とされ、会社が持続可能性を帯びている状態。
そしてなにより、それらによる幸福感と数字(売上・利益・利益率・市場シェア)とが連動して、共に目覚ましく上昇している状態が、そこには確かに存在していた。
僕はその景色を見た。
見てしまった。
だからもう、知らなかったことにはできない。
それ以来、僕の人生は変わった。
「こんな会社が増えたらいいな」
ではなく、
「こんな会社を増やしたい!」
と思うようになった。
まずは丸友開発を、その景色の中に連れて行く。
そして、地域の少しでも多くの中小企業に同じ景色が広げる。
それが僕の夢になったのではない。
僕にとっての“意味”になったのである。
希望と意味は違う
そんなことを考えているとき、僕はキャリコン受験で学んだフランクルの『夜と霧』を思い出す。
フランクルは強制収容所という極限状態のなかで、人間が何によって生きるのかを見つめ続けた。
そこで彼が気づいたのは、単なる希望だけでは人は生き延びられないということだった。
いつ解放されるかわからない。
明日を迎えられる保証もない。
そんな極限状態のなかでも、
「自分にはまだやり遂げなければならない仕事がある」
「果たすべき使命がある」
「生きて応えなければならない誰かや何かがある」
そう思えた人たちは、生きる力を失わなかったという。
彼自身もまた、精神科医として考え続けてきた理論を世に残したいという思いを支えにしていた。
だから彼が見ていたのは希望ではなかった。
“意味”だったのである。
希望とは、
「将来こうなったらいいな」
という未来への期待だ。
一方、意味とは、
「私はこれに応えなければならない」
という人生からの問いである。
希望は、自分が未来に期待するもの。
意味は、人生が自分に問いかけているもの。
似ているようで、まったく違う。
だからフランクルは、
「意味さえあれば苦しくない」
とは言わなかった。
むしろ逆だった。
苦しい。
辛い。
理不尽だ。
思うようにならない。
それでも生きる。
その苦しみの中で、自分は何に応答するのか。
そこに意味がある。
僕はこの考え方に強く共感する。
なぜなら、それは僕自身の実感と重なるからだ。
だから苦しい
意味があると、人は強くなれる。
しかし同時に、意味があると人は苦しくなる。
なぜなら、見えてしまうからだ。
あの景色が。
もし僕が会社の未来を諦めていたら。
もし社員への期待を失っていたら。
もし地域の中小企業の可能性を信じていなかったら。
僕は後悔しない。
きっと楽になる。
「あれができなかった」
とも思わなくなる。
だけど僕は後悔する。
まだ信じているからだ。
まだ諦めていないからだ。
あの景色を知ってしまっているからだ。
経営をしていると、思い通りにならないことばかりだ。
毎日何かが起きる。
毎日、誰かの困りごとや問題への対応に追われる
その対応に追われているうちに、一日が終わる。
そして夜になる。
「今日もあれができなかった」
そんな思いが胸に残る。
以前の僕は、それを弱さだと思っていた。
しかし今は違う。
その後悔は、まだ諦めていない未来から届く痛みなのだと思っている。
後悔が僕を立たせている
僕を苦しめているものは何だろう。
目の前のトラブルだろうか。
売上だろうか。
人の問題だろうか。
もちろん、それらも苦しい。
しかし本当に僕を苦しめているものは、もっと別のところにある。
それは、
「あの景色と今との距離」
である。
もっと近づけたはずだった。
もっと前へ進めたはずだった。
もっとできたはずだった。
そう思うから後悔する。
しかし不思議なことに、その後悔こそが僕を立たせてもいる。
後悔が僕を苦しめ、同時に僕を立たせてもいる。
なぜか。
その後悔の根っこに意味があるからだ。
もし意味を失えば、後悔も消える。
しかし後悔が消えたとき、同時に挑戦も終わる。
だから僕は最近、後悔を敵だとは思わなくなった。
後悔の奥には、
「本当は何を大切にしたいのか」
という問いが隠れている。
その問いがある限り、人は立ち上がれる。
僕がファイティングポーズを下ろさない理由
僕は決して強い人間ではない。
迷う。
焦る。
憤る。
弱音を吐きたくなる日もある。
それでもファイティングポーズを下ろさない。
なぜだろう。
希望があるからではない。
希望なら、ときに揺らぐ。
状況によって見えなくなる。
しかし意味は残る。
僕が人生から問われているもの。
僕が応答したいと思っているもの。
一度見てしまったからこそ、もう見なかったことにはできない景色。
それが残る。
だから立ち上がる。
だからまた考える。
だからまた挑戦する。
そして、だからまた後悔する。
人は希望ではなく“意味”によって生き延びる
僕は毎日のように後悔している。
今日もあれができなかった。
本当はもっとできたはずだ。
そう思う。
けれど最近、その後悔に少し救われている。
僕を苦しめているその後悔は、僕を生かしている意味でもあるのだと気づいたからだ。
僕は以前、熊本と台湾で、その景色を見た。
だからもう、そこへ向かう旅をやめることはできない。
まずは丸友開発を、あの景色の中に連れて行く。
あの時と同じように、仲間で酒を酌み交わし、一緒に幸福感に包まれる。
そしてその先に、そんな会社が地域に少しずつ増えていく未来を見たい。
それは単なる希望ではない。
僕にとっては、人生から手渡された問いであり、応答すべき意味である。
後悔があるから意味があるのではない。
意味があるから後悔する。
そして僕は明日もまた、ファイティングポーズを下ろさない。
あの景色が、まだ僕を呼んでいるから。
もし今、
あなたの中にも繰り返し顔を出す後悔があるなら、
それは失敗の証拠ではないのかもしれない。
まだ諦めていない何かがあるという、
意味からのサインなのかもしれない。
人は希望ではなく、
“意味”によって生き延びるのだから。
筆者紹介:風を読む人事家
自動車業界で、人事etc.~海外子会社CEO~人事担当役員を経て当社へ。
人事・組織論の長年の実践知を、建設業のリアルな現場に注入し、組織と人の可能性を探究している。
一貫して向き合ってきたテーマは、
「社員の幸福感」と「経営へのインパクト」とを両立すること。
その問いに真正面から挑戦し続けている。
本ブログは開始当初から一貫して、毎週末に書き、毎週末に届けている。
激動の経営の中で見失いそうになる“自分”を、週末にそっと拾い直すための思索の記録でもある。
現場のリアルと人文知が交差する中で、
世の組織の中に潜む矛盾や不条理を鋭く、時に皮肉を交えて言葉にする。
もしあなたが、
「このままでいいのだろうか」と、ふと立ち止まったことがあるなら。
その言葉にしきれない違和感や揺らぎに、名前を与えるヒントが、ここにあるかもしれない。
2025年7月より当社代表取締役社長
