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#059 主体性を求める組織ほど、原則が必要だ――「自由」と「型」の本当の関係

ワールドカップ2026。日本はブラジルに惜敗した。

試合後、相変わらずこんな声が聞こえてくる。

日本の個人技は、ずいぶんレベルアップした。
世界との差は、確実に縮まっている。
それでもやはり、ブラジルの個人技には届かなかった。
子どもの頃からのボールとの親しみ方が違う。
サッカーが日常にある国とは、土壌が違う。

そして、いつもの話に戻っていく。

日本は型にはめすぎる。
ブラジルや欧米は、もっと自由に育てる。
だから、強い個が育つ。
日本ももっと自由に、伸び伸び育てなければならない。

だが、本当にそうだっただろうか。

前半、日本のシステムは機能していた。
個の力だけでブラジルに対抗していたわけではない。
むしろ、個の力を超越し得るシステムを、日本はかなり高いレベルで使えるようになっているように見えた。

問題は後半だった。

ブラジルは、日本のシステムを切り崩すためのシステムを変更・投入してきた。
そこで日本の対応が遅れた。

つまり、単純に、

「個のブラジル、組織の日本」

という話ではない。

ブラジルもまた、卓越した個の集団に見えて、極めて合理的にシステムを駆使して使い分けているのだ。

ここに、私たちが見落としがちな本質がある。

自由とは、原則のない放任ではない。
本当の自由は、強い原則の上にしか成り立たない。

このことを考えた時、僕は組織マネジメントや人材育成を学ぶ上で知った元サッカー日本監督 岡田武史氏の「岡田メソッド」を思い出した。

自由にしたから主体性が生まれるわけではない

サッカーだけでなく、野球などのスポーツにおいて、いや、いろんな組織において、

「言われたことはやるが、自分で判断できない」

ことが課題視され、

自由にさせよう。自分で考えさせよう。 主体性を持たせよう。

という流れになってきた。

ところが、それだけでは十分ではない。

いざ想定外のことが起きると、プレーヤーたちは迷う。修正できない。議論しない。

そこで岡田メソッドが辿り着いたのが、

自由の前に原則が必要だ

という考え方だった。

欧州にはサッカーの原則がある。

型にはめるための型ではなく、判断するための原則だ。

まず原則を徹底的に身につける。

そして自由にする。

日本は「自由→主体性」と考えがちだ。

しかし実際は、

原則→主体性→自由

だったのである。

原則とルールは違う

ここで私たちは勘違いしやすい。

原則が必要だと言うと、すぐルールを増やそうとする。

しかし原則とルールは違う。

ルールは、

「この場合はこうしなさい」

だ。

原則は、

「何を基準に判断するか」

である。

岡田メソッドにはわかりやすい例がある。

サッカーではよく、「サポートしろ」と指導される。

しかし選手からすると困る。

近づけば「近すぎる」と言われる。

離れれば「サポートが遅い」と言われる。

これでは状況ごとの正解を暗記するしかない。

そこで岡田メソッドでは、サポートを原則で整理した。

味方が困っているなら助ける。

味方に余裕があるなら距離を取る。

相手に隙があるならその空間を使う。

すると選手は、

「正解を教えてください」

ではなく、

「今はどの原則に当てはまるか」

で考えられるようになる。

つまり自分で判断できる。

これが主体性である。

日本企業はシステムをルール地獄にしてしまう

僕はこの話を聞いて、自分が身を置いた自動車業界で取り入れる国際規格ISO9001やTS16949(現IATF16949)を思い出す。

本来これらは、主体的に品質を作り込むための仕組みだ。

品質を安定させる。

不良を未然に防ぐ。

継続的に改善する。

物の品質だけでなく、会社全体の業務のクオリティも向上の対象となる。

そのためのシステムである。

ところが日本企業では時々、

ルール。 ルール。 ルール。

になってしまう。

記録を書け。

証拠を残せ。

規程を守れ。

監査で怒られるな。

もちろん必要なことだ。

しかし目的がすり替わる。

本来は、

原則 → 判断 → 改善

だったものが、

ルール → 記録 → 監査対応

になる。

失敗は許さない。

すると現場は息苦しくなる。

なぜこのルールがあるのか。

何を守ろうとしているのか。

どう改善すべきなのか。

そうした本質が置き去りになる。

システムが悪いのではない。

システムの使い方が悪いのである。

岡田メソッドとISOは本質的に同じ

岡田メソッドにはもう一つ面白い話がある。

試合で圧倒されているチームに対し、ハーフタイムで二、三点修正するだけで流れが変わることがあるという。

なぜか。

感覚ではなく、構造で見ているからだ。

どこに問題があるのか。

なぜ起きているのか。

どこを直せば改善するのか。

これは品質管理でいう、

問題発見 → 原因分析 → 対策

そのものである。

サッカーも経営も、本質は同じなのだと思う。

考えるためのフレームを持つ。

だから自分で判断できる。

個を尊重する組織ほど、原則が必要になる

僕は、一人ひとりの持ち味が尊重される組織を作りたいと強く思っている。

しかし、この記事を書きながら、あらためて気を引き締めた。

何でも自由にすればよいというものではない。

口で主体性を唱えているが、実質は放任であってはならないと。

むしろ逆だ。

経験上、原則のない自由は強い人の支配を生む。

声の大きい人。

経験の長い人。

立場の強い人。

そういう人の価値観が暗黙のルールになる。

だからこそ共通の原則が必要なのだ。

私たちは何を大切にするのか。

何のために働くのか。

どんな会社でありたいのか。

そこが共有されているからこそ、一人ひとりが違うやり方で力を発揮できる。

土台がなければ個性はバラバラになる。

土台があるから個性は組織の力になる。

ルールではなく、モラルを育てる

強い組織には、ルール以上のものがある。

それは、モラルである。

ここでいうモラルとは、道徳を押しつけることではない。
監視されていなくても、自然とそう振る舞う文化のことだ。

たとえば、誰も見ていなくても手を抜かない。
小さな約束を守る。
道具を丁寧に扱う。
現場をきれいにする。
お客様の前だけでなく、仲間に対しても誠実でいる。
面倒なことでも、安全に関わることは省略しない。

これらは、ルールにしようと思えばできる。

しかし、ルールにした瞬間、監視が必要になる。

「やったか」
「守ったか」
「チェックしたか」

もちろん、チェックは大事だ。
建設業、解体業において、安全や品質に関する確認は絶対に必要である。

しかし本当に強い組織は、チェックされるからやるのではない。

そうすることが当たり前になっている。

小さな手抜きをしない。
細部を軽んじない。
一人くらい大丈夫だと思わない。

そういう空気が、組織全体に流れている。

この空気は、一朝一夕には生まれない。

理念を語り、原則を共有し、日々の出来事と結びつけ、何度も対話することで少しずつ育っていく。

自由とは、原則の上に立つこと

日本は型にはめるから弱い。

欧米は自由だから強い。

そんな単純な話ではない。

本当に強いチームも、強い企業も、自由の前に原則を持っている。

問題は型があることではない。

型を思考停止に使うことだ。

岡田メソッドが教えてくれるのは、人を縛るための型ではない。

人を自由にするための原則である。

主体性は放任から生まれない。

原則を共有し、自分で判断する経験の中から育つ。

だから私は思う。

主体性を求める組織ほど、原則が必要だ。

個を尊重する組織ほど、共通の型が必要だ。

ただし、それは人を縛るための型ではない。

人を自由にするための型である。

自由とは、何もないことではない。

原則の上に立ち、自ら考え、自ら判断し、自ら動くことだ。

4年後のワールドカップで、日本代表はどんなサッカーを見せてくれるだろう。

「自由」と「原則」。

その難しい問いに向き合い続けた先に、今まで見たことのない景色が待っているのかもしれない。

そしてそれは、私たちの職場や組織にも同じことが言えるのだと思う。

筆者紹介:風を読む人事

自動車業界で、人事etc.~海外子会社CEO~人事担当役員を経て当社へ。
人事・組織論の長年の実践知を、建設業のリアルな現場に注入し、組織と人の可能性を探究している。
一貫して向き合ってきたテーマは、
「社員の幸福感」と「経営へのインパクト」とを両立すること。
その問いに真正面から挑戦し続けている。

本ブログは開始当初から一貫して、毎週末に書き、毎週末に届けている。
激動の経営の中で見失いそうになる“自分”を、週末にそっと拾い直すための思索の記録でもある。

現場のリアルと人文知が交差する中で、
世の組織の中に潜む矛盾や不条理を鋭く、時に皮肉を交えて言葉にする。
もしあなたが、
「このままでいいのだろうか」と、ふと立ち止まったことがあるなら。
その言葉にしきれない違和感や揺らぎに、名前を与えるヒントが、ここにあるかもしれない。

2025年7月より当社代表取締役社長