社長ブログ/お役立ち情報
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#060 その「正解」は、本当に真実か?――「確証バイアス」と「認知的不協和」の罠
“間違い”は怖くない。怖いのは“やめられないこと”
僕が社長に就任した1年前、この組織には「正しい」とされていることがたくさんあった。
それは単なる慣習ではなかった。
変えてはいけない理由。
踏み込んではいけない理由。
やっても無駄な理由。
そうしたものが、もっともらしい文脈で丁寧に装飾され、あたかも疑うこと自体が間違いであるかのような空気をまとっていた。
業界も会社も門外漢である僕には、そこに違和感しかなかった。
だから、自ら動いた。自ら飛び込んだ。自ら関わった。自ら事実を集めた。
そして、周囲が納得するだけの事実を積み上げていった。
そのうえで、その事実に基づき、最適と思える考え方や行動を、組織のスタンダードとして据え直してきた。
振り返って思う。
あのとき僕が相手にしていたのは、業界や社内の古い慣習などではなかった。
もっと厄介なものだった。
それは、人の心の中にある
「コレはこういうものだ」「コレは合っているはずだ」
という思い込みである。
この思い込みは、しばしば理屈の顔をして現れる。
合理性のふりをして、変化を拒む。
慎重さのふりをして、現実から目をそらす。
冷静さのふりをして、思考を止める。
そして何より恐ろしいのは、それが本人にとっては本当に“正しく”見えていることだ。
人は、間違う。
だが本当に怖いのは、間違うことではない。
間違ったまま進み続けてしまうことだ。
そこには、二つの心の働きが深く関わっている。
確証バイアスと、認知的不協和である。
正しさではなく、選び取られた都合のいい事実
「確証バイアス」とは、自分の考えや仮説を支持する情報ばかりを集め、反対の情報を見えにくくしてしまう心の偏りのことだ。
私たちは、自分では「客観的に判断している」と思っている。
だが実際には、見たいものを見て、信じたいものを信じ、都合の悪い情報には鈍くなる。
しかもそれは、悪意ではなく、ほとんど無意識に起きている。
たとえば、あるやり方に違和感が出始めているのに、うまくいっている一場面だけを切り取って「ほら、やはり正しい」と結論づける。
ある人の気まずそうな表情や、現場で起きている小さな綻びには目を向けず、数字や形式だけを見て「問題ない」と判断する。
そうして、本当は修正すべき状況であるにもかかわらず、正しさの証拠ばかりをかき集めてしまう。
正しさは、証明されているのではなく、
選別されていることがある。
しかも、成功体験がある人ほど、この罠に入りやすい。
過去にうまくいった方法は、自信を支えてくれる。
だが同時に、その成功体験は「今回も合っているはずだ」という確信を強化し、新しい現実を見えにくくする。
経験は武器になる。
しかし、ときに経験は、現実を見る目を曇らせる。
「間違いだった」と言えない心の仕組み
もう一つ、私たちを縛るのが「認知的不協和」である。
これは、自分の行動と認識のあいだにズレが生じたときに感じる不快感を、なんとか解消しようとする心の働きだ。
簡単に言えば、人は「自分は間違っていた」と思うことに強い痛みを感じる。
だから現実を修正するよりも、解釈のほうを修正してしまう。
本当はうまくいっていない。
本当は無理が出ている。
本当はもう見直すべきだと、どこかでわかっている。
それでも、ここまで費やした時間、労力、お金を思うと、引き返せなくなる。
「あれは無駄ではなかった」
「これは必要な我慢だ」
「今やめたら、これまでが全部否定されてしまう」
そうやって私たちは、現実そのものよりも、自分の内側の整合性を守ろうとする。
真実を受け止めるより、納得できる物語をつくるほうが楽だからだ。
だが、その“楽さ”は高くつく。
間違った選択をしたことよりも、
間違った選択を正当化し続けることのほうが、ずっと大きな代償を生む。
その「大丈夫」が、人生を削っている
何かを誤ることは誰にでもある。
それ自体は、人生において避けがたい。
問題は、その誤りを「正しいはずだ」と守り続けることである。
そのとき浪費されるのは、お金だけではない。
もっと大きいのは、時間である。
そして労力である。
さらに言えば、本来そこに向けられたはずの可能性である。
時間は、あとで取り戻せない。
労力は、削られれば心身をむしばむ。
お金は、失えば選択肢を狭める。
けれど本当に惜しいのは、その間に別の道を選べたかもしれないという可能性まで、静かに消えていくことだ。
「高い勉強代だったね」で済まされる次元を超える。
本当は合わない仕事に、自分をすり減らしながら居続ける。
機能していないやり方に、根性で投資し続ける。
本当は違うと感じている関係性や価値観を、「ここまで来たのだから」と引き延ばし続ける。
そこにはしばしば、美徳の顔をした執着がある。
責任感。忍耐。継続。覚悟。
もちろんそれらは大切だ。
だが、それが現実を見ないための言い訳になった瞬間、美徳は自分を縛る鎖に変わる。
続けることは尊い。
しかし、やめるべきものをやめる勇気もまた、同じくらい尊い。
個人も組織も、「物語」に酔う
では、どうすれば「合っているはずだ」の罠から抜け出せるのか。
僕はその答えを、個人において「メタ認知」はもちろん、組織においても客観視出来る力が求められていると思う。
なぜなら、人の思い込みは個人の頭の中だけで生まれるわけではないからだ。
むしろ厄介なのは、周囲の人も同じ思い込みを共有し始めたときである。
ベテラン社員がそう言っている。
社長が望んでいる。
業界の常識である。
成功体験がある。
新事業のセオリーとされている。
こうした言葉は、一見すると安心材料のように見える。
だが実際には、「考えなくて済む理由」として機能することが少なくない。
僕はこれまで何度も、
「組織の問題は能力不足ではなく、集団の思い込みによって起きる」と一貫して記事にしてきた。
パワハラを見逃す空気もそうだ。
若手が意見を言えなくなる空気もそうだ。
多様性が失われる組織もそうだ。
誰かが悪意を持っているわけではない。
みんなが「正しいことをしている」と信じている。
だから修正が難しい。
心理学には、集団浅慮(グループシンク)という言葉があることも記事にした。
集団の調和を優先するあまり、異論や違和感が排除され、現実的な判断ができなくなる状態だ。
僕は、多くの組織問題の根底にはこれがあるように思う。
だから必要なのは、自分を疑うことだけではない。
組織の常識を疑うことである。
業界の常識を疑うことである。
みんなが当たり前だと思っていることを問い直すことである。
そして何より、
違和感を持つ人を大切にすることである。
全員が同じ景色を見始めた組織は危うい。
「本当にそうだろうか」
と言う人。
「何かおかしい」
と感じる人。
多数派の物語に乗り切れない人。
そうした存在こそが、組織を思い込みから救うセンサーになる。
メタ認知とは、自分を一段上から見ることだと言われる。
だが組織においては、
集団そのものを一段上から眺めること
も同じくらい重要なのだと思う。
「間違えられる組織」だけが前に進む
これは個人だけの話ではない。
組織もまた、「合っているはずだ」の罠に陥る。
前例がある。
他社の成功事例と酷似している。
エキスパートが言っているから間違いない。
こうした理由は、一見もっともらしい。
だがそれが積み重なると、組織は現実ではなく、自己正当化の中で動き始める。
本当に強い組織は、最初から正しい組織ではない。
間違いを認め、修正し、学び直せる組織である。
違和感を口にできること。
反対意見が排除されないこと。
立場の強い人ほど、自分の仮説を検証にさらすこと。
そうした文化がなければ、組織の正しさはすぐに硬直する。
「正しい人」が組織を強くするのではない。
正しさを疑える人が、組織を強くする。
その“正しさ”は、何を守っているのか
人は誰しも、「自分は間違っていない」と思いたい。
それは弱さではない。
ごく自然な心の働きである。
だが、その自然さに身を任せているだけでは、人生の貴重な時間も、労力も、お金も、静かに失われていく。
しかも厄介なのは、浪費している最中ほど、自分ではそれを浪費だと認めにくいことである。
だからこそ、ときどき立ち止まったほうがいい。
自分の判断を疑うためではなく、
自分の未来を守るために。
合っているはずだ。
そう思っているものほど、問い直す価値がある。
あなたが守ろうとしているのは、本当に未来だろうか。
それとも、過去の自分の正しさだろうか。
間違うことは、誰にでもある。
だが、間違いから降りられなくなったとき、人は人生を削り始める。
間違うことは、誰にでもある。
だが、間違いから降りられなくなったとき、人は人生を削り始める。
筆者紹介:風を読む人事家
自動車業界で、人事etc.~海外子会社CEO~人事担当役員を経て当社へ。
人事・組織論の長年の実践知を、建設業のリアルな現場に注入し、組織と人の可能性を探究している。
一貫して向き合ってきたテーマは、
「社員の幸福感」と「経営へのインパクト」とを両立すること。
その問いに真正面から挑戦し続けている。
本ブログは開始当初から一貫して、毎週末に書き、毎週末に届けている。
激動の経営の中で見失いそうになる“自分”を、週末にそっと拾い直すための思索の記録でもある。
現場のリアルと人文知が交差する中で、
世の組織の中に潜む矛盾や不条理を鋭く、時に皮肉を交えて言葉にする。
もしあなたが、
「このままでいいのだろうか」と、ふと立ち止まったことがあるなら。
その言葉にしきれない違和感や揺らぎに、名前を与えるヒントが、ここにあるかもしれない。
2025年7月より当社代表取締役社長
