社長ブログ/お役立ち情報
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#069 孤独を愛する僕、共同体を愛する僕――阿波踊りが映し出した思想の源流
(カバー画像は映画「眉山」の舞台となった眉山山頂からの夜景)
剣山のあとで・・・
シルバーウイークが台風で台無しになった腹癒せ的に筆をとっている。
おい、突然どーした?…と思われるタイトルのついでに、唐突に書き始めることにする。
僕は山旅が大好きだ。
山をひとりで歩くと心が整う。歴史ある街並みに立ち寄る。温泉に浸かる。そして夜は、土地の郷土料理と地酒を楽しみ、偶然隣り合わせた地元の人との会話を楽しむ。
そんな気ままな旅がたまらない。
大型連休になると放浪に出る。
どこにでも苦楽を共にしてきた相棒の車と一緒だ。
きまって煎餅布団の安宿をBASEにするのだが、宿主の人情が極上の旅へと昇華してくれる。
熊本、鹿児島、宮崎、岐阜、長野、三重、奈良。昔住んでいた土地やその時に良く行った街を再訪する旅は特に好きだ。
山を歩きながら人生を振り返り、その土地に生きてきた人々の歴史や暮らしに想いを馳せる時間は、僕にとって何よりの贅沢である。
この夏の四国・徳島の旅はとりわけて最高だった。
剣山を歩き、美しい稜線を歩いたら心が整った。そして旅のもうひとつの目的だった阿波踊りを観るために、徳島の街へ向かった。
そこで僕は、不思議な感情に出会った。
感動した。
美しかった。
それだけではない。
なぜだかわからないが僕は、『踊り手たちが羨ましかった』のである。
阿呆になっているのではない
念願の阿波踊り観覧は、想像以上の感動だった。
揃った足運び。
指先の細かな反り。
絶妙な身体の重心移動。
心を映す表情。
そこには長い伝統と、気が遠くなるような反復練習が透かし見えた。
よく「踊る阿呆に見る阿呆」というが、
僕には、彼らは少しも阿呆には見えなかった。
むしろ逆だ。
真剣だった。
真摯だった。
美しかった。
だからこそ不思議だった。
僕はそんな彼らを見ながら、
「阿呆になってみたい」
と思ったのである。
もちろん、本当にアホになりたいわけではない。
しかし、あれほど大勢の観客の前で、自分を解放し、阿呆に没頭しきる姿が羨ましかった。
そして同時に、
「自分がずっと乗り越えてきていない壁」
だと思った。
この感情の正体がわからなかった。
孤独を愛する僕の矛盾
旅から帰ってきてからも、ずっとそのモヤモヤが消えなかった。
なぜ阿波踊りに心を揺さぶられたのだろう。
考え始めると、すぐに矛盾にぶつかった。
僕は群れることが好きではない。
むしろ逆だ。
それこそ、山はひとりで登りたい。
誰かと予定を合わせたり、歩く速度を合わせたりなんて、まっぴらごめんだ。
気になった道があれば寄り道する。
疲れたら休む。
気になった名所旧跡があれば立ち寄る。
自由でいたい。
僕はずっと、自分はそういう人間だと思っていた。
しかし阿波踊りは「連」という集団で踊る。
仲間と練習を積み重ねる。
動きを合わせる。
伝統を受け継ぐ。
そこには「共同体」がある。
それなのに、僕はその姿に憧れていた。
なぜなのだろう。
共同体への憧れなのか?
共同体への憧れ?いや違う。
僕は昔から同調圧力が苦手だ。
全員が同じ意見であることを求める空気。
空気を読むことを最優先にする組織。
個人の尊厳を軽視した過度な集団優先文化。
その手のものに強い抵抗感を覚え続けてきた。
ブログでも何度も書いてきた。
僕は全体主義が嫌いなのだ。
だから「共同体に憧れた」という説明では腹落ちしなかった。
フロムが手がかりになった
そんなとき、ふと思い出したのが心理学者フロムの言葉だった。
人間には二つの欲求がある。
自由でありたいという欲求。
誰かとつながっていたいという欲求。
僕の中では、自由への欲求ばかりが強いと思っていた。
しかし阿波踊りを見て気づいた。
どうやら僕は人が好きなのだ。
社員が好きだ。
仲間が好きだ。
見知らぬ人との会話も好きだ。
組織づくりも好きだ。
人の幸せを願うことも好きだ。
僕は孤独を愛しているのではなかった。
自由を愛しているだけだったのである。
ここまで考えて、少しだけモヤモヤが晴れた。
でも、まだ何か足りない気がしていた。
僕が羨ましかったもの
さらに考え続けて、ようやくたどり着いた答えがある。
僕が羨ましかったのは、アホになって踊ることではなかった。
「共有された物語」と「それに没頭する熱意」だったのだ。
阿波踊りの踊り手たちは、一夜にしてそこに立っているわけではない。
何年も練習している。
何年も下手を上手に上書きしている。
何年も先輩から教わり、後輩へ伝えている。
同じ伝統を守り続けている。
苦労を共にしながら、一緒に時間を積み重ねている。
そしてその成果を、祭りという舞台で披露する。
僕は踊りを見ていたのではない。
一人たりとも手を抜かず、人と人とが紡いだ物語を見ていたのである。
そして、それが羨ましかった。
個のまま、ひとつになる
ここでようやく気づいた。
僕が嫌いなのは共同体ではなかった。
個を失わせる共同体が嫌いだったのだ。
阿波踊りの「連」は違って見えた。
動きは揃っている。
しかし人格は揃っていない。
一人ひとりの佇まいに、それぞれ違う人生が滲んで見える。
それでも美しく一つになっている。
誰かが消されているわけではない。
個が輝いたまま共同体が成立している。
僕はそこに、自分がずっと追い求めているものを見た。
それは、僕が理想とする組織の中の自分と社員の姿でもあった。
多様な人がいていい。
考え方が違っていていい。
個性があっていい。
それでも同じ方向を向いて歩くことはできる。
僕はそんな組織を信じている。
そして阿波踊りの「連」は、その可能性を目の前で見せてくれたのである。
それが、とてつもなく美しかった。
阿波踊りを観に行ったはずなのに・・・
阿波踊りのモヤモヤを解体しようとして、僕の思考は思いのほか遠くまで旅をした。
「阿呆になってみたい」という感情から始まり、自意識や共同体、自由やつながりについて思索を続けた。
その過程で気づいたことがある。
僕は新しい答えを見つけたのではなかった。
ずっと前から探していた答えに、もう一度出会ったのだ。
僕は個を尊重したい。
しかし孤立したいわけではない。
僕は自由でいたい。
しかし人とつながりたい。
僕は全体主義が嫌いだ。
でも共同体が好きだ。
阿波踊りの「連」に見たのは、その矛盾を乗り越えた人たちの姿だったのかもしれない。
個のまま、ひとつになる。
振り返れば僕は、組織づくりでも、ブログでも、ずっとそんな世界を追い求めてきた。
今回の四国旅は、剣山への山旅であり、念願の阿波踊りとの出会いでもあった。
しかし本当は、それ以上の旅だった。
それは、自分の思想の源流を再発見する旅だったのである。
徳島の夜、僕は踊る人々を見ながら「羨ましい」と感じていた。
僕が羨ましかったのは、踊りそのものではない。
人が人として生きながら、個を失わず、没頭して仲間とひとつの物語を紡いでいる姿だった。
それはきっと、僕がこれまで追い求めてきた組織の理想形そのものなのだと思う。
そして、このブログで書き続けてきた世界そのものでもある。
そう考えると、不思議なものだ。
阿波踊りを見に行ったはずなのに、最後に出会ったのは自分自身だった。
旅の醍醐味は、知らない景色や文化と出会うことだけではない。
遠くまで旅をしたからこそ、ようやく見えてくる自分がいる。
剣山の稜線も、徳島の街の熱気も、あの夜の阿波踊りも、そのことを僕に教えてくれた。
そして今も正直に言えば、僕は阿呆になりきる自信はない。
自分への客観視が強すぎて先に覚めてしまう。
きっとこれからも、一歩引いて物事を眺めてしまうだろう。
それでも、あの夜に感じた羨望だけは失いたくない。
なぜなら、その感情の奥には、僕が本当に大切にしたい生き方が隠れていたのだから。
筆者紹介:風を読む人事家
自動車業界で、人事etc.~海外子会社CEO~人事担当役員を経て当社へ。
人事・組織論の長年の実践知を、建設業のリアルな現場に注入し、組織と人の可能性を探究している。
一貫して向き合ってきたテーマは、
「社員の幸福感」と「経営へのインパクト」とを両立すること。
その問いに真正面から挑戦し続けている。
本ブログは開始当初から一貫して、毎週末に書き、毎週末に届けている。
激動の経営の中で見失いそうになる“自分”を、週末にそっと拾い直すための思索の記録でもある。
現場のリアルと人文知が交差する中で、
世の組織の中に潜む矛盾や不条理を鋭く、時に皮肉を交えて言葉にする。
もしあなたが、
「このままでいいのだろうか」と、ふと立ち止まったことがあるなら。
その言葉にしきれない違和感や揺らぎに、名前を与えるヒントが、ここにあるかもしれない。
2025年7月より当社代表取締役社長
