社長ブログ/お役立ち情報
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#052 「共感」を解体せよ——「感じる」と「理解する」はナゼすれ違うのか?
〜 “エモーショナル”と“コグニティブ”とを往復する技術 〜
溺れている人がいたら、あなたはどうするだろう。
真っ先に水へ飛び込み、腕をつかんで引き上げようとする人がいる。
一方で、周囲を見渡し、浮き輪やロープを探して投げ入れる人もいる。
どちらが正しい、という話ではない。
ただ・・・もしあなたが、気づけばいつも“飛び込んでいる側”なら・・・
人のために濡れ続けて、どこかで静かに疲れているとしたら・・・
これは、きっと「あなたの話だ」。
人のことで、こんなふうに揺れたことはないだろうか。
分かりすぎて、苦しくなる。
寄り添いたいのに、流されてしまう。
正しいことを言いたいのに、言葉が冷たくなる。
・・・その違和感の正体は、
「共感」という言葉の中にある、二つの力を混同していることかもしれない。
本記事では、
「エモーショナルエンパシー(感情的共感)」と、「コグニティブエンパシー(認知的共感)」という二つの視点から、
「人を理解するとはどういうことなのか」を解体していく。
読み終えたとき、あなたの優しさが“消耗”ではなく“力”として働くための、往復の技術を持ち帰れるはずだ。
共感には二種類ある——「感じる」と「理解する」
まず、言葉を整える。
共感(エンパシー)には、大きく二つの型がある。
エモーショナルエンパシー(感情的共感)
相手の感情を、自分のことのように感じてしまう力だ。
相手が泣けば胸が苦しくなる。
相手が怯えていれば、自分の体も硬くなる。
相手が傷つけば、自分も傷ついた気がする。
これは「優しさ」と呼ばれることが多い。
だが実態は、感情が伝染するような共感だ。
コグニティブエンパシー(認知的共感)
相手の立場や考えを、頭で理解しにいく力だ。
なぜその人は怒っているのか。
その言葉の裏に、何を守ろうとしているのか。
この人はどんな前提で世界を見ているのか。
これは「冷静さ」「理解力」と呼ばれることが多い。
だが実態は、相手の視点を借りる共感だ。
同じ「共感」という一語で括られているが、
この二つは、作用も、結果も、まったく違う。
共感には、もう一つ紛らわしい言葉がある
共感には、似て非なる言葉がある。シンパシー(同情)だ。
この二つは決定的に違う。シンパシーは、岸に立ったまま「大変だね」と声をかけること——相手を思ってはいるが、その世界には入らない。一方エンパシーは、相手の内側に触れる行為だ。ときに水に入り、感情を共にし(エモーショナル)、ときに岸に戻り、どうすれば助けられるかを考える(コグニティブ)。つまり、同情が“外側からの優しさ”だとすれば、共感とは“出入りする覚悟”である。その一歩を踏み出すかどうかで、人との関わりは静かに、しかし決定的に変わる。
僕は、真っ先に飛び込むタイプだ
正直に言えば、僕は走り出し上着と靴を脱ぎ捨て飛び込んでから我に帰るタイプだ。
人の良さをアピールしたい訳ではない。
そもそも本当にそれで良いのかという疑念から今筆を進めている。
目の前で苦しんでいる人がいたら、
考えるより先に、心が先に濡れてしまう。
部下が沈んでいれば、その沈みを自分のことのように感じる。
面談で言葉が詰まれば、空気の重さを一緒に背負ってしまう。
誰かが孤立していれば、そこに橋をかけずにはいられない。
おそらく、僕のエモーショナルエンパシーが強いのだと思う。
この性質は、人を救う。
「分かってもらえた」と思える瞬間を生む。
心の鎧がほどけ、言葉が出てくる瞬間に立ち会える。
だが同時に、危うい。
なぜなら、水の中では、自分も溺れるからだ。
エモーショナルが強い人が溺れる瞬間
飛び込む人ほど、分かりやすく疲れる。
そして厄介なことに、その疲れが“美談”として処理されやすい。
・相手のつらさを受け取りすぎて、帰宅後にどっと倒れる
・「放っておけない」が続いて、自分の生活が崩れる
・相手の痛みを背負い、問題の当事者になってしまう
・優しさのつもりが、相手の「自分で泳ぐ力」を弱めてしまう
飛び込む人は、助けたい。
だが助け方を間違えると、相手の人生を“代わりに生きる”方向へ寄ってしまう。
さらに、飛び込む人ほど「自分が溺れていること」に気づきにくい。
水の中では視界が狭い。息が苦しい。
助けているつもりで、同じ場所でもがく。
——そして、誰にも言えないまま消耗していく。
もしあなたが、ふとした夜に
「人のために頑張ったはずなのに、なぜ自分がすり減っているんだろう」
と思ったことがあるなら。
その答えは、あなたが弱いからではない。
共感の“型”が偏っていただけだ。
コグニティブが強い人が失うもの
逆側のコグニティブにも落とし穴がある。
・状況整理はできるのに、相手は「分かってもらえた」と感じない
・正論は言えるのに、人がついてこない
・「原因」「対策」に急ぎすぎて、相手の心が置き去りになる
・早く解決したい気持ちが、相手に“詰問”として届いてしまう
浮き輪を投げる人は賢い。
二次被害を防ぎ、現実的に助かる確率を上げる。
だが、投げ方を誤るとこう思われる。
「私の気持ちもわかって・・・」
「正しいけど、つらい」
「冷たい」
コグニティブは武器になる。
ただし、相手の心と接続しなければ、武器は刃になる。
共感とは「他人の中に入ること」ではない
ここからが、本題だ。
共感という言葉は美しい。
しかし、その美しさが誤解を生む。
共感=相手の気持ちになりきること。
共感=相手の中に入ること。
そう思った瞬間から、飛び込む人は戻れなくなる。
僕は最近、こう考えるようになった。
共感とは「他人の中に入ること」ではなく、
「自分と他人の間を行き来すること」ではないか。
飛び込む。
けれど、住み着かない。
岸に戻る。
けれど、眺めて終わらない。
この“往復”こそが、共感の技術なのだと思う。
「感じる勇気」と「離れる勇気」
本当に人と向き合うとは、
どちらか一方を選ぶことではない。
・感じる勇気(エモーショナル)
・離れる勇気(コグニティブ)
この両方を持つことだ。
感じる勇気がないと、相手の孤独に触れられない。
離れる勇気がないと、相手の人生まで背負ってしまう。
そして不思議なことに、
離れられる人ほど、もう一度ちゃんと相手のもとへ戻っていける。
戻っていける人ほど、相手は安心して心を許せる。
共感とは、
「一緒に溺れること」ではなく、
「溺れさせない距離を保ちながら、手を伸ばすこと」なのかもしれない。
組織マネジメントに落とすと、こうなる
この“往復”は、部下指導や面談でそのまま効く。
たとえば、面談で部下が「もう無理かもしれません」と言ったとき。
エモーショナルだけだと、
「つらいよね」「分かるよ」と一緒に沈み、空気は温まるが状況が動かない。
上司自身が疲弊することもある。
コグニティブだけだと、
「原因は?」「いつから?」「何が一番きつい?」と整理が進むが、
相手は「追い詰められた」と感じることがある。
だから、往復する。
最初はエモーショナルで “ 受容 ” する。
「そう感じているんだね」と、まず心を安全にする。
次にコグニティブで整理する。
「何が一番しんどい?」「どこが変わると少し楽になる?」と、現実を一緒に見る。
そして最後に、もう一度エモーショナルに戻る。
「ここまで耐えてきたんだね」と、存在を抱きしめ直す。
“救われた”と“前に進める”が、同時に起こる。
共感の空気が変わるのは、この瞬間だ。
「本当の自分」に戻ってこられるか
僕はこれまで幸せの本質と考えている「自分らしさ」や「本当の自分との再会」について何度か記事にした。
本当の自分と再会できたとき、
人は「この自分でよかった」と、静かに涙が出る。
その瞬間は、外側の正解ではなく、内側の納得が立ち上がる瞬間だ。
そしてこのテーマは、共感の話と地続きだ。
なぜなら、
自分自身と再会できている人ほど、他人とも健全に距離を取れるからだ。
自分の輪郭がある人は、相手の痛みを受け止めても飲み込まれない。
自分の感情に気づける人は、相手の感情と自分の感情を混同しない。
自分の内面に帰ってこられる人は、他者理解の旅からも帰ってこられる。
共感の成熟とは、優しさの増量ではない。
帰ってくる場所を持つことなのだと思う。
共感は一つじゃないから、すれ違いはほどける
共感には二種類ある。
・エモーショナル:相手の感情を感じる力
・コグニティブ:相手の視点を理解する力
人はこのどちらかに偏ることで、すれ違う。
感じすぎて、溺れる。
理解しすぎて、冷たくなる。
だから必要なのは、往復だ。
飛び込むことを否定しない。
ただ、浮き輪を探す時間も持つ。
岸に戻り、息を整え、もう一度相手のもとへ戻る。
共感とは、相手の中に住み着くことではなく、
相手のところへ行って、また自分へ帰ってくること。
僕は、これからもたぶん、飛び込みたくなる。
でも同時に、浮き輪を探せる自分でもありたい。
そして何より、ちゃんと自分に戻ってこられる自分でありたい。
あなたのその優しさは、 誰を救って、誰を苦しめているだろうか。
筆者紹介:風を読む人事家
自動車業界で、人事etc.~海外子会社CEO~人事担当役員を経て当社へ。
人事・組織論の長年の実践知を、建設業のリアルな現場に注入し、組織と人の可能性を探究している。
一貫して向き合ってきたテーマは、
「社員の幸福感」と「経営へのインパクト」とを両立すること。
その問いに真正面から挑戦し続けている。
本ブログは開始当初から一貫して、毎週末に書き、毎週末に届けている。
激動の経営の中で見失いそうになる“自分”を、週末にそっと拾い直すための思索の記録でもある。
現場のリアルと人文知が交差する中で、
世の組織の中に潜む矛盾や不条理を鋭く、時に皮肉を交えて言葉にする。
もしあなたが、
「このままでいいのだろうか」と、ふと立ち止まったことがあるなら。
その言葉にしきれない違和感や揺らぎに、名前を与えるヒントが、ここにあるかもしれない。
2025年7月より当社代表取締役社長
