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#062 感情に名前をつける——“アファメーション”と“リアプレイザル”で、自分の内側を解体する

僕には、忘れられない光景がある。

まだ前職の会社で働いていた頃、現在僕が社長を務める丸友開発株式会社が、その会社の改修工事に入ったことがあった。今思うと何かの縁か。

執務スペースや会議室などを隔てていた壁を、一気にぶち抜いた。

壁がなくなる。

言葉にすれば、それだけのことかもしれない。
しかし、その場で起きていたことは、単なる改修工事ではなかった。

それまで見えなかった人の動きが見えるようになった。
部署と部署の距離が縮まった。
閉じていた空気が流れ始めた。
これまで生まれにくかった会話が、自然と生まれるようになった。

物理的な壁を壊しただけなのに、そこにあった“空気”まで変わっていく。

僕はその光景を目の当たりにしながら、強く感じた。

ああ、解体とは、ただ壊すことではないのだ。

ハードを壊すことで、ソフトが変わる。
目に見える壁を取り払うことで、目に見えない関係性まで変わっていく。

それは、僕がXのプロフィールなどで掲げている個人ミッション
「ハードもソフトも解体し、街をアップデートする」
という言葉の原風景だったのかもしれない。

そして今、僕は同じことが人の内側にも起きると思っている。

人や組織を停滞させているのは、目に見える壁だけではない。
むしろ厄介なのは、自分でも気づかないうちに内側につくってしまった壁である。

言葉にならない違和感。
うまく説明できないイライラ。
飲み込んだまま沈殿していく悲しみ。
正体の分からない不安。

それらは、心の中に残された未解体の壁なのかもしれない。

人は、感じたことそのものよりも、
名前をつけられなかった感情に振り回されている。

だから必要なのは、無理に前向きになることでも、気合いで押し込めることでもない。

まずは、自分の中にある感情に名前をつけること。
そして、自分にかける言葉を選び直すこと。
さらに、出来事に貼りついた意味を見直すこと。

前回の記事、「今ココにある事実をそのまま受け止める」話に続き、今回も自分の内側を解体する話。
いずれも、僕が体得しつつあって、とても役に立っていること。
心の壁を解放し、自分らしさを取り戻す思考法について今回も書いてみたい。

モヤモヤの正体は、「未整理」である

僕たちはよく「モヤモヤする」と言う。

なんとなく気分が悪い。
心に引っ掛かりがある。
怒っている気もするし、悲しい気もする。
でも、うまく言葉にできない。

だからひとまず、「モヤモヤ」と呼ぶ。

しかし、モヤモヤは感情の名前ではない。
それは、まだ整理されていない感情の集合体である。

解体現場でも、雑に壊せば危険が増す。
どこに重量がかかっているのか。
どこから手をつけるべきなのか。
それを見誤れば、現場は一気に不安定になる。

感情も同じである。

「イライラしている」と思っていたものが、実は、軽く扱われた悔しさかもしれない。
分かってもらえない寂しさかもしれない。
思い通りにできない無力感かもしれない。
自分の努力が届かなかった虚しさかもしれない。

この違いは大きい。

なぜなら、名前が変われば、向き合い方も変わるからだ。

悔しいなら、何を大事にしていたのかを見つめればいい。
寂しいなら、どんなつながりを求めていたのかに気づけばいい。
無力感なら、自分がコントロールできる範囲を見直せばいい。
虚しさなら、自分が期待していたものを丁寧に見つめればいい。

曖昧な感情は、人を振り回す。
しかし、言語化された感情は、人に選択肢を与える。

感情に名前をつけるとは、感情を消すことではない。
感情を扱える状態に変えることである。

怒りの下には、守りたいものがある

現場や組織の中でも、こういうことはよく起きる。

たとえば、ある管理者がいたとする。

現場の段取りを何度も調整し、近隣対応にも気を配り、協力会社とも連携しながら、何とか工事を進めていた。
安全にも気を配った。
工程にも気を配った。
お客様にも、周囲にも、仲間にも気を配った。

それなのに、最後に返ってきた言葉が、

「もっと早くできなかったのか」

だけだったとする。

その瞬間、人はイラッとする。

「何も分かっていない」
「こっちはこんなにやっているのに」
「簡単に言わないでほしい」

そう感じる。

しかし、その感情にもう一歩踏み込んで名前をつけてみると、違うものが見えてくる。

それは怒りではなく、自分の苦労が見えていなかったことへの悲しさかもしれない。
大切にしていた仕事を軽く扱われたような悔しさかもしれない。
どれだけ気を配っても伝わらなかった無力感かもしれない。

怒りは分かりやすい。
だから僕たちは、つい怒りとして処理してしまう。

しかし怒りの下には、たいてい別の感情が隠れている。

悲しさ。
寂しさ。
悔しさ。
不安。
孤独感。
守りたかったもの。

これは僕自身にも何度もあった。

社長になってから、僕は何度も「怒っている」と思っていた。

社員とのコミュニケーションがうまくいかなかったとき。
会社を良くしようと考え抜いたことが伝わらなかったとき。
自分なりに必死で守ろうとしているものを、分かってもらえないと感じたとき。

僕は腹を立てているのだと思っていた。

しかし、感情に名前をつけてみると違った。

本当は悲しかった。
本当は寂しかった。
本当は悔しかった。
会社を良たいだけだった。
社員に誇りを持って欲しかった。

怒りだと思っていた感情の下には、守りたいものがあった。

そう気づいたとき、感情の見え方が変わった。

怒りを悪者にする必要はない。
怒りは、何か大切なものが傷ついたサインでもある。

ただ、その怒りの奥にある本当の感情に名前をつけなければ、僕たちはいつまでも表面の反応に振り回される。

感情に名前をつけるとは、自分を甘やかすことではない。
むしろ、自分の内側を雑に扱わないということである。

アファメーションとは、自分を敵にしない言葉である

感情に名前をつけたあと、次に大切になるのは、自分にどんな言葉をかけるかである。

多くの人は、感情に気づいたあと、すぐに自分を裁いてしまう。

「こんなことで傷つくなんて弱い」
「社長なんだから、揺れてはいけない」
「もっと大人にならなければ」
「この程度で落ち込むな」

しかし、こうした言葉は、自分を強くしているようで、実は内側を硬くしている。

硬くなった心は、しなやかではない。
しなやかでないものは、ある瞬間に折れる。

そこで必要になるのが、アファメーションである。

アファメーションというと、前向きな自己暗示のように聞こえるかもしれない。
しかし僕が大事だと思うのは、もっと静かな言葉である。

現実を歪めない。
感情を否定しない。
それでも、自分との関係を壊さない言葉。

たとえば、

「自分はダメだ」ではなく、
「今はうまくいっていないだけだ」

「こんなことで傷つくな」ではなく、
「それだけ大事にしていたということだ」

「怒ってはいけない」ではなく、
「自分は何を守りたかったのだろう」

「もっと強くならなければ」ではなく、
「揺れながらでも、少しづつでも整え直せばいい」

このような言葉である。

アファメーションとは、自分を甘やかすことではない。
自分を敵にしない技術である。

壊すべきは、自分ではない。
壊すべきは、自分を苦しめ続けている古い言葉である。

リアプレイザルとは、意味を貼り替えることである

もう一つ大切なのが、リアプレイザルである。
日本語にすれば、再評価、再解釈という意味に近い。

これは、嫌な出来事を無理やりポジティブに変換することではない。
つらかったことを「全部よかったこと」にしてしまうことでもない。

そうではなく、出来事に貼りついている意味を見直すことである。

たとえば、厳しい指摘を受けたとする。

その出来事に対して、

「否定された」
「信用されていない」
「自分は能力がない」

という意味を貼れば、心は縮こまる。

しかし、別の見方もある。

「改善点が見えた」
「期待があるから指摘されたのかもしれない」
「ここを直せば、次はもっと良くなる」

もちろん、何でも都合よく受け取ればいいわけではない。
理不尽なものは理不尽である。
傷ついた事実をなかったことにする必要もない。

前回の記事のように、意味を剥がして意味づけし直さないという選択肢もあるだろう。

ただ一つの出来事に対して、一つの意味しか持てないと思い込むと、人は苦しくなる。

出来事は変えられない。
しかし、意味は見直せる。

人を苦しめているのは、事実そのものだけではない。
その事実に、自分がどんな意味を貼りつけているかである。

リアプレイザルとは、その意味を一度剥がしてみることだ。

本当にそれだけか。
別の見方はないか。
この経験は、自分に何を教えようとしているのか。

そう問い直すことで、出来事は単なる痛みではなく、未来をつくる材料に変わっていく。

内側を解体し、次を創る

感情に名前をつける。
自分に言葉を与える。
出来事の意味を見直す。

この三つは、ばらばらの技術ではない。
ひとつながりの営みである。

感情に名前をつけることで、輪郭が生まれる。
自分にかける言葉を選ぶことで、内側の関係性が整う。
出来事の意味を見直すことで、次の行動が変わる。

つまりこれは、感情を処理する方法ではない。
自分の内側を解体し、再構築する方法である。

僕たちは、建物を解体している。
しかし本当は、それだけではない。

古くなったものを壊し、危険を取り除き、次の街並みのために更地を整える。
その仕事の本質は、単なる撤去ではない。

次を創るために、いったん解く。
未来のために、構造を見直す。
新しい流れを生むために、古い壁を取り払う。

これは、組織にも、人の心にも通じる。

だから僕は、
「ハードもソフトも解体し、街をアップデートする」
という言葉を、単なるキャッチフレーズだとは思っていない。

それは、僕たちの仕事観であり、組織観であり、人間観でもある。

街の中にある古い建物を解体するように、
組織の中にある古い空気も解体したい。

そして、自分の内側に積み上がった未整理の感情も、丁寧に解体したい。

壊すためではない。
次を創るために。

心の壁を解体した、その先に

もし今、何かが引っかかっているなら、難しく考えなくていい。

まずは、自分にこう聞いてみる。

自分は今、何を感じているのか。

怒りなのか。
悔しさなのか。
寂しさなのか。
不安なのか。
無力感なのか。
悲しみなのか。

そして、もう一つ聞いてみる。

自分は何を大切にしていたから、この感情を持っているのか。

感情は、邪魔者ではない。
扱い方を知らないと暴れるだけで、本当はずっと前から、何かを知らせようとしていたのかもしれない。

怒りは、守りたいものの存在を教えてくれる。
悲しみは、大切だったものの存在を教えてくれる。
不安は、本気で向き合っている未来の存在を教えてくれる。
悔しさは、まだ諦めていない自分の存在を教えてくれる。

だからこそ、感情を雑に扱わないことだ。
「モヤモヤ」で済ませないことだ。
怒りの下にあるものを見つめることだ。

ハードもソフトも解体し、街をアップデートする。

その思想を本気で掲げるなら、
僕は自分の内側にある見えない壁にも、同じ誠実さで向き合いたい。

あなたのその感情は、ただ消すべきノイズなのか。
それとも、次の自分を創るために、まだ名前を待っている“素材”なのか。

筆者紹介:風を読む人事家

自動車業界で人事を起点に、海外子会社CEO、人事担当役員を歴任。
現在は解体業の経営者として、建設業のリアルな現場に身を置きながら、人と組織の可能性を探究している。

一貫して向き合ってきたテーマは、「社員の幸福」と「経営」の両立。
その問いを、人事の視点だけでなく、解体業という現場の実践を通じて問い続けている。

本ブログは、開始以来一貫して毎週末に書き、毎週末に届けている。
激動の経営の中で見失いそうになる自分を、週末にそっと拾い直すための思索の記録でもある。

現場のリアルと人文知が交差する中で、建物だけでなく、人や組織を縛る思い込みや常識を解体するブログでもある。

もしあなたが、

「このままでいいのだろうか」

と立ち止まったことがあるなら。

ここにある言葉が、その違和感や揺らぎに名前を与えるヒントになるかもしれない。

2025年7月より丸友開発株式会社 代表取締役社長