社長ブログ/お役立ち情報

#066 「表象」の世界で、誠を尽くして生きる

僕は、何と戦っていたのだろう

解体会社の社長になった1年前、実は別のものと戦っていたと今振り返っている。

無数の人々の頭の中にある「丸友開発」である。

解体業のお客様は、特定の業界に限られない。建設会社、製造業などの事業会社、不動産会社、金融機関、自治体、そして個人のお客様。建物がある限り、地域のありとあらゆる人が、いつかお客様になり得る。

だから、会社を少しでも良く思ってもらいたかった。

新しく社長になった僕自身についても、信頼できる人間だと思ってもらいたかった。

会う人、会う人に、丸友開発は変わった、新しい社長は本気だ、この会社なら安心できる。そう感じてもらおうとしていた。

信用が欠かせない会社経営において、それ自体は当然の努力だったと思う。

ただ、振り返れば、僕は少し力が入りすぎていた。

描いていた事業承継の物語

僕には、それまでの経験を生かせば丸友開発を変えられるという自負があった。

海外法人の社長として培った、会社を経営する力。

人事時代に培った、社員一人ひとりの持ち味を引き出し、組織を動かす力。

経営企画時代に培った、会社の未来を構想する力。

総務時代に築いた、さまざまなステークホルダーとの人脈。

それらを駆使すれば、後継者のいない中小企業の事業承継を円滑に進め、企業価値を高められる。そこで働く人たちの雇用を守り、地域の建設業界を支えるサプライチェーンの維持にも貢献できる。

その先には、事業承継の一つの成功例として、人々から評価される姿まで思い描いていた。

地域に貢献したいという思いは本物だ。
社員とその家族の暮らしを守りたいという気持ちこそ、動機の源泉だ。

ただ、そこには「自分の選択は正しかったと証明したい」という願いも混ざっていたのだと思う。

地域にも、社員にも、そして自分自身にも。

現実は、物語どおりには進まなかった

しかし、現実は思い描いたほど簡単ではなかった。

社長が代わっても、丸友開発という法人格は一気には変わらない。
創業者が形成された会社の印象も、地域や取引先の中に残っている。

僕が新しい方針を掲げたからといって、長い年月をかけてつくられた印象が、一夜にして変わるわけではない。

地元の上場企業の役員だった人間が、解体会社の社長になった。その転身を好意的に見てくれる人ばかりでもなかった。

なぜ解体業に来たのか。

本当に現場のことが分かるのか。

いつまで続けられるか。

門外漢に、この会社を変えられるのか。

面と向かって言われたこともあったし、冷ややかな視線を感じることもあった。

だから、僕はさらに一生懸命になった。

会社を経営しながら、同時に会社と自分の評判まで経営しようとしていたのかもしれない。

人は、頭の中に現れた世界を見ている

そんな自分を振り返るきっかけになったのが、ショーペンハウアーの「表象」という考え方だった。

私たちは、世界そのものを直接見ているわけではない。自分の経験や価値観、感情、認識の仕組みを通して、頭の中に現れた世界を見ている。

例えば、同じ上司を見て、「決断が速い人だ」と評価する人もいれば、「人の意見を聞かない人だ」と感じる人もいる。

同じ会社で働いていても、「良い会社だ」と思う人もいれば、「働きにくい会社だ」と思う人もいる。

どちらか一方が間違っているとは限らない。

人は事実だけを見ているのではなく、それまでの経験や期待を通して事実を解釈し、自分なりの意味を与えている。その頭の中に立ち上がった像が、「表象」である。

この考えに触れたとき、僕はこれまで感じていた苦しさの正体が、少し分かった気がした。

現実の丸友開発は一つしかない。

しかし、社員、取引先、お客様、金融機関、地域の方々、それぞれの頭の中には、異なる丸友開発が存在している。

その人がいつ会社を知ったのか。

どのような経験をしたのか。

誰から、どんな話を聞いたのか。

それによって、頭の中に結ばれる会社の像は変わる。

つまり、人の数だけ丸友開発がある。

社長になったばかりの僕は、そのすべてを好ましい像に変えようとしていた。

しかし、百人いれば百通りの丸友開発がある。そのすべてを変えるには、百人それぞれの記憶や価値観、感情まで変えなければならない。

それは、最初から果てしない戦いだった。

ブランディングは、今でも好きだ

ここで誤解を解いておく。

僕はブランディングを否定しているわけではない。むしろ、好きな仕事である。

会社の中にある魅力をフォーカスすること。

社員たちの仕事や思いを言語化すること。

自分たちでさえ気づいていなかった価値に名前を与え、それを必要としている人に届けること。

それは会社にとって大切な営みだと思っている。

ただ、嘘や架空の情報を混ぜ、実態以上に良く見せることで、理想的なイメージをつくり上げることは僕の性分に合わない。

人々の頭の中に好ましい像をつくることが目的となり、現実の会社を置き去りにしてしまえば、本末転倒である。

存在しない物語をつくるのではなく、語るに値する現実を、自分たちの手でつくる。そして、それを誠実に伝える。

「表象をつくること」と「現実を磨くこと」。

その順番だけは、間違えたくない。

表象の世界で、「至誠」を尽くす

では、人々の頭の中にある像を支配できない私たちは、何をよりどころに生きればよいのだろう。

僕がたどり着いた答えは、「至誠」だった。

至誠とは、この上ない誠実さで人や物事に向き合うことだと、僕は受け止めている。

人の頭の中にある丸友開発を、僕が直接変えることはできない。

しかし、目の前の仕事に誠を尽くすことはできる。

実直な社員たちと、実直に事業を行う。

一つひとつの現場に誠実に向き合う。

地域の困り事に向き合い、僕たちにできる貢献を積み重ねる。

そして、存在しないものを飾らず、そこにある価値を正直に伝える。

もちろん、至誠とは、周囲の意見を聞かずに自分の信念だけを押し通すことではない。

自分では正しいと思っていても、相手には違う景色が見えていることがある。その声に耳を傾け、誤りがあれば正すこともまた、誠実さの一部だと思う。

ただ、相手の見方を理解しようとすることと、相手の頭の中を思いどおりに変えようとすることは違う。

前者は対話であり、後者は終わりのない戦いになる。

また、至誠を尽くしたからといって、必ず評価されるとは限らない。

もし至誠を、評判を良くするための手段にしてしまえば、僕は再び、人々の頭の中にある丸友開発を追いかけることになる。

評価されるために誠実であるのではない。

どう評価されるかを相手に委ねたうえで、それでも自分たちは誠実であろうとする。

それが、僕にとっての至誠なのだと思う。

無数の表象の間で生きる

1年前の僕は、人々の頭の中にある丸友開発を変えようとしていた。

今思えば、不思議なことだ。

現実の丸友開発は一つしかないのに、僕が相手にしていたのは無数に存在する丸友開発だった。

あの人の頭の中にある丸友開発。

この人の頭の中にある丸友開発。

そして昨日と今日ですら変わり続ける丸友開発。

そのすべてと戦おうとしていた。

疲れるはずである。

勝てるはずもない。

人はみな、それぞれの表象の世界を生きているのだから。

今でも、良く思われたい気持ちがなくなったわけではない。

評価されれば嬉しい。

誤解されれば悔しい。

それはきっと、これからも変わらない。

それでも、以前より少しだけ分かったことがある。

人の頭の中にある僕を変えることはできない。

けれど、自分自身のあり方は選ぶことができる。

だから今日も、目の前の人と仕事に誠を尽くそうと思う。

人々の頭の中にいる僕。

そこにいる僕は、それぞれ少しずつ違うのだろう。

そして、そのどれも僕自身には決められない。

だからこそ、せめて現実の僕だけは誤魔化したくない。

もしかすると至誠とは、人の評価を超越することではなく、人の評価や誤解に心が揺れながらも、それでも誠実さを手放さないことなのかもしれない。

そして、表象の世界を生きるということは、人々の頭の中にいる自分を追いかけることではなく、自分自身が納得できる現実を積み重ねていくことなのかもしれない。

筆者紹介:風を読む人事家

自動車業界で、人事etc.~海外子会社CEO~人事担当役員を経て当社へ。
人事・組織論の長年の実践知を、建設業のリアルな現場に注入し、組織と人の可能性を探究している。
一貫して向き合ってきたテーマは、
「社員の幸福感」と「経営へのインパクト」とを両立すること。
その問いに真正面から挑戦し続けている。

本ブログは開始当初から一貫して、毎週末に書き、毎週末に届けている。
激動の経営の中で見失いそうになる“自分”を、週末にそっと拾い直すための思索の記録でもある。

現場のリアルと人文知が交差する中で、
世の組織の中に潜む矛盾や不条理を鋭く、時に皮肉を交えて言葉にする。
もしあなたが、
「このままでいいのだろうか」と、ふと立ち止まったことがあるなら。
その言葉にしきれない違和感や揺らぎに、名前を与えるヒントが、ここにあるかもしれない。

2025年7月より当社代表取締役社長