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#008 正義とは何か?忠臣蔵と不倫に学ぶ、企業文化に見る“日本的モヤモヤ”を解体

(写真はイギリス・ロンドンのトラファルガー広場。なぜこの写真かは最後に…)

~ コンプライアンスでは測れない“人としての正しさ”とは? ~

はじめに:あなたのモヤモヤ、正義のせいかもしれません

静岡・浜松の企業で働くあなた。
こんな人たちにモヤモヤしていませんか?
・「働き方改革」と言いつつ、定時で退社すると「やる気がない」と言う課長
・A案だと言い張っていたのに、社長がB案だと言った途端に手のひらを反す部長
・社員の感情を逆撫ですることでも、社長方針とあれば躊躇なく伝達する専務

これ実は、全部“正義”の話です。しかも、日本特有の「マルチスタンダードな正義」。

法は破っていないけど、世間が許さない。
理屈は通ってるけど、感情が阻害される。
道理より、空気が勝つ。

このブログでは、そんな日本社会の“マルチスタンダード”な正義の仕組みを、忠臣蔵、不倫スキャンダル、儒教の八徳を通じて、風刺しつつ解体していきます。

ルールはあるのに、空気がすべてを支配する職場。そんなモヤモヤ、ありませんか?
それ、実は「正義のマルチスタンダード」が原因かもしれません。

シングルスタンダード vs マルチスタンダード

「シングルスタンダード」とは、価値判断の基準が一つであること。例えば「法は絶対」「ルールは守るべき」といった考え方です。欧米の法治主義社会の基本といえます。

一方、日本では「マルチスタンダード」がしばしば美徳とされます。つまり、状況や関係性によって複数の基準が共存します。忠義、人情、空気、和、そして法。これらが時に矛盾しながらも、絶妙なバランスで共存しているのです。

忠臣蔵に見るマルチスタンダードの美学

忠臣蔵――それは単なる仇討ちの物語ではありません。
赤穂浪士たちが主君の無念を晴らすために吉良上野介を討ち、そしてその首を奉行所に届け、自らの命を差し出すように堂々と出頭する。
彼らは「忠義」という情の正義のために、あえて「法」を犯しました。
しかしその後、逃げも隠れもせず法の裁きを受けることで「秩序」への敬意も示したのです。
これが仇討ちの後に、バラバラと全国に散り、ひっそりと生きながらえたというエンディングだったら、語り継がれることはなかったでしょう。

「義」と「法」という二つのスタンダードを同時に成立させた日本的な美学の体現が、正義と秩序の間で揺れる日本人の心を魅了し続けてきた、日本人の価値観の深層を映し出す鏡といえます。

現代企業にたとえるなら、社長の命令に逆らってでも社員のために動いた部長が、責任を取って辞表を出すようなもの。

ルールと空気、忠誠と公正、――そのすべてに筋を通す。
シングルスタンダードでは語りきれない複雑な日本の美学が、そこにはあります。

そして我々は今日も、忠臣蔵のように、複数のスタンダードの間で器用に、そして時に苦しみながらも、誇りを持って生きているのです。

不倫スキャンダル:空気の裁判所、開廷!

不倫は日本の刑法では犯罪ではありません。民法上は離婚や慰謝料の原因にはなりますが、刑事罰はありません。つまり、法的には「やっても捕まらない」行為です。
しかし、芸能人や政治家が不倫をすると、テレビやSNSで袋叩きにされ、CM契約は打ち切られ、謝罪会見では涙を流す。まるで「市中引き回しの上、打ち首獄門」のような扱いです。

シングルスタンダード社会との比較

欧米では、政治家や芸能人の不倫は「プライベートな問題」として処理されることが多いようです。もちろん批判はありますが、謝罪会見を開くことは稀。
これは「法に触れていないなら問題なし」というシングルスタンダードの考え方が根底にあるからだと思われます。

一方、日本では「法に触れていなくても、空気に触れたらアウト」というマルチスタンダードが支配する。

なぜ、ここまでのバッシングが起きるのか?

忠臣蔵と不倫の奇妙な共通点「空気の正義」

赤穂浪士は法を犯しながらも「忠義」という空気の正義を貫きました。一方、不倫は法を犯していないのに「空気の正義」を裏切ったとして断罪されます。

つまり、日本社会では「法」よりも「空気」が優先される場面が多い。不倫は「家族を裏切った」「ファンを裏切った」「イメージを壊した」という“空気の罪”を犯したとみなされるのです。

この逆説こそが、日本社会のマルチスタンダードの本質です。

「空気の裁判所」はどこにある?

日本には「空気の裁判所」が存在します。そこでは、法律ではなく「常識」「道徳」「イメージ」「世間体」が判決を下します。

芸能人不倫事案企業におけるあなた
判事世間役員
検察官週刊誌上司
陪審員SNSバイアス同調社員
被告芸能人あなた
弁護士いても歯が立たないいない

この裁判所では、無罪推定の原則は通用しません。謝罪しても「反省が足りない」と言われ、沈黙しても「逃げている」と言われるのです。

正義とは何か?──八徳に見る日本的価値観と法の限界

日本の社会では「正義」はしばしば「法」と同義に扱われます。しかし、忠臣蔵の浪士たちが法を犯して称賛され、不倫スキャンダルの当事者が法を犯していないのに断罪される日本社会を見ると、「正義=法」では語りきれないことがわかります。

八徳とは何か?

儒教における「八徳(はっとく)」とは、理想的な人間が備えるべき八つの徳目のことです。これらは、単なる道徳の教えではなく、現代の企業経営においても“人としての正しさ”を示す羅針盤となり得ます。

八徳意味企業でいえば
仁(じん)思いやり、慈しみ社員・顧客・協力会社への配慮。働きやすさへの気配り
義(ぎ)正義、公正公平な評価、透明な意思決定。協力会社も大切にする姿勢
礼(れい)礼儀、節度社内外の礼儀、ビジネスマナー、敬意あるコミュニケーション
智(ち)知恵、判断力社員の英知を結集した戦略、柔軟な問題解決、学び続ける姿勢
信(しん)誠実、信用顧客・協力会社・社員との信頼関係、約束を守る文化
忠(ちゅう)忠誠、誠心組織への誠実な貢献、理念への共感と実践
孝(こう)親への孝行経営層や先輩社員への敬意、企業の良き歴史や文化の継承
悌(てい)兄弟姉妹への敬愛同僚との協調、チームワーク、相互尊重の風土

これらは、法とは異なる「人としての正しさ」を示す基準であり、社会的な「空気の正義」や「道徳的な期待」と深く結びついています。

忠臣蔵の浪士たちは、法を犯したが「忠」「義」「信」「礼」を体現したことで称賛されました。つまり、彼らは「法の正義」ではなく「徳の正義」に従ったのです。

一方、不倫は法的には罪にはなりませんが、パートナーとの信頼を裏切り、社会的な節度を欠き、家族への責任を果たさない、「信」「礼」「孝」「悌」といった徳目を裏切る行為とみなされるからこそ、世間からのバッシングが激しいのです。

八徳経営で三方よし──人徳が利益を生むという信念

三方ヨシは、近江商人の「売り手ヨシ・買い手ヨシ・世間ヨシ」という理念で、すべての関係者にとって良い商いを目指す考え方です。この精神は、現代のサステナブル経営が重視する「環境・社会・経済の調和」とも一致していて、日本的な持続可能性の原点といえます。短期的利益よりも信頼と共生を重視する姿勢は、ESG経営にも通じ、今なお企業の指針となる価値観です。
私はその価値観を体現するための行動指針=空気の正義として「八徳」が潜在していると考えています。

私は、八徳を企業内の「空気の正義」にすることが、最終的に最良の経営成績をもたらすと信じています。この考え方は、近江商人の「三方よし」にも通じます。

徳を積むことが利益を生む

現代の経営では、短期的な利益や株主価値が重視されがちです。しかし、八徳に基づいた経営は、長期的な信頼と持続可能な成長をもたらします。

・顧客は「信」のある企業を選ぶ
・社員は「仁」と「礼」のある職場で働きたいと思う
・社会は「義」と「忠」を持つ企業を支持する

これらはすべて、目に見えない資産・社会的資本であり、最終的には目に見える利益につながるのです。

コンプライアンスと八徳経営のマルチスタンダード

現代の企業経営において、「コンプライアンス」は不可欠なキーワードです。法令遵守、リスク管理、情報開示──これらは企業の信頼を守るための最低限の基準であり、シングルスタンダードの象徴でもあります。
しかし、それだけでは足りません。
企業が社会に受け入れられ、愛され、持続的に成長するためには、法の外側にある「徳」の力が必要です。八徳経営は、コンプライアンスでは測れない「人としての正しさ」を企業活動に宿します。

日本社会における正義の多層構造は次の3つと考えられます。

1. 法の正義:ルールに従うこと
2. 空気の正義:世間の期待に応えること
3. 徳の正義:人としての道を守ること(八徳)

2と3の融合、誰かの利権のためのバイアス(空気)ではなく、人や社会の利益のために徳を行動や判断の基準とするバイアス(空気)で空気清浄することが有意義だと思うのです。

徳と利益の両立

「正義とは何か?」という問いに、法だけでは答えられません。八徳はその答えの一つであり、経営においても、人生においても、最も根源的な価値基準となるのです。

そして私は、八徳を大切にする経営こそが、最終的に最良の経営成績を生むと信じています。それは、数字では測れないが、信頼・尊敬・継続という形で、確かに現れるのです。

「人生は全ての選択の結果だ」~ ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング より ~

トム・クルーズの代表作で、1996年から約30年にわたり人気を博してきた大ヒットスパイアクションの集大成『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング』を観てきました。思えば主人公のイーサン・ハントは窮地に立つ度に、最も世界平和に繋がり、かつ、愛する人や仲間が助かるための最良の選択を積み重ねてきています。そのためにはIMFやアメリカ政府の指令は無視どころか欺くことも。その後、考え得る最良の結果となり正義の証明の連続でした。

イーサンを常に支えてきたIMFの仲間であるルーサーがイーサンに掛けた言葉がとても印象に残りました。

人生は全ての選択の結果だ。
私は一瞬たりとも疑ったことはなかったよ。君(イーサン)なら必ず道を見つけると分かっていた。
私たちは自分の運命を支配できる。より良い未来への希望は、その未来を自らの意志で実現することから生まれる。
私たちは皆、同じ運命、同じ未来を共有している。それは無限の選択肢の総和だ。

みなさんの企業の中での選択は、本当の正義ですか?

その選択を積み上げた未来は楽しみですか?

※写真は、ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニングの〇〇〇シーン「トラファルガー広場」

筆者紹介:風を読む人事家(火曜日・金曜日ブログ担当)
異業種で人事・総務の世界に身を投じて30年。社員の幸福感・血の通った組織・業績と経営へのインパクトに拘って、あらゆる人事・組織の理論と実践を行き来しながら、組織という名の“生き物”と格闘してきた。建設業に飛び込んで半年。今日も人と組織の“幸福感”を観察中。
週末のライフワークである人事・組織理論の読書の傍らでブログを書き溜めて火曜日・金曜日に予約配信中。
建設業のリアルな現場でも実践し得られたことの共有や、人事・総務の視点から、世の中の矛盾や不条理を鋭く、時に皮肉を交えて切り取ります。
業種を問わずさまざまな企業の中で「なんとなくモヤモヤしている」「組織の中で立ち止まっている」そんなあなたの思考に一石を投じるヒントがここにあるかもしれません。