お役立ち情報 / お知らせ

#035 言葉とは、他者の境界を揺らす力か、傷つける力か 【心と言葉|言葉篇】

言葉は暴力になる——無神経さが、誰かの心を深くえぐっている

言葉は軽いようでいて、時に人の心を深く切り裂く。
殴られた痕は目に見えるが、言葉の傷は外側から見えない。
だからこそ、暴力であるという自覚がないまま、無神経なひと言を投げつけてしまう人がいる。

しかし一つだけはっきりしている。
その一言は、あなたが想像している以上に誰かを傷つけているということだ。

同じ言葉でも、受け取る深さは人によって違う

「このくらいなら冗談で済むだろう」
「この人は気にしないタイプだ」
「慣れているだろうから、大丈夫だ」
「これくらい言わなきゃ、わからない」

こうした“勝手な基準”ほど危険なものはない。
前回の記事で述べたように、感受性の豊かさは、人によって全く違う。
感情の上下では測れないし、表現の大小とも関係がない。

外に反応が出ない人ほど、
静かに、深く、痛みを抱え込むことがある。

にもかかわらず、言葉を放つ側はその痛みに気づかず、
「これぐらい言っても平気だろう」と踏み込んでしまう。

そして、その“これぐらい”が、相手にとっては
心の奥に長く残る傷になる

無神経な人ほど、人の努力や心配りを見ていない

無神経な言葉を投げつける人は、
その人がどれほど心を尽くしてきたかを想像しない。

丁寧に時間を使い、
相手のために動き、
静かに考え、
誠実に積み上げてきた行動。

それらの“背景”を一切見ず、
結果の表面だけをなぞり、
勝手な評価を下し、
最後に心無いひと言を浴びせる。

「そんなの当たり前だろ」
「もっとこうすればいいのに」
「なんかズレてるよね」

その一言が、
相手が積み上げてきた“見えない努力”を一瞬で踏みにじってしまう。

傷つける気がないことは、免罪符にはならない

言葉の暴力の厄介なところは、
加害者が加害者である自覚を持っていない場合が多いという点だ。

「そんなつもりで言ったわけじゃない」
「冗談だって言ったじゃん」
「気にしすぎなんだよ」

こうした言い訳は、自分の責任を棚上げするための言葉でしかない。
相手が傷ついたという“事実”の前では、
意図があったかどうかは関係がない。

言葉は、放った瞬間に相手の心に届く。
その衝撃の強さは、受け取る側の感受性によって変わる。
だからこそ、放つ側はもっと慎重であるべきだ。

組織であればなおさら…無神経さは空気を濁らせる

職場では、言葉は道具であると同時に、関係をつくる材料でもある。
雑に扱えば、空気は荒れる。
鋭く投げれば、人は沈黙する。
何気ないひと言で、チームの信頼関係が簡単に崩れ落ちる。

そして怖いのは、
無神経な言葉の摂取を続けると“麻痺”するということだ。

誰かが誰かを言葉で傷つける。
周囲はそれを見聞きすると、「この職場ではあれが許されるんだ」と頭で処理をする。
それが日常になり、感覚がおかしくなり、
誰も傷つくことに気づかなくなる。

組織の風土は、こうしてゆっくりと腐っていく。

言葉には責任がある

私は、無神経な人に問いたい。

あなたのひと言は、本当に必要な言葉だったのか。
その言葉は、相手を尊重していたか。
その評価は、努力の背景を想像した上でのものだったか。

もし、胸を張って「はい」と言えないのなら、
その言葉はもう一度飲み込み、
慎重に扱うべきだ。

口外に放ってしまったなら、「こういうつもりだった」などと枕詞を付けずに心から謝罪し、取り返しのつかない事態を避けた方が良い。

言葉は暴力にもなる。
だが同時に、
人を救う手にもなり、心の灯りにもなる。

どう使うかは、すべて私たちの手の中にある。

筆者紹介:風を読む人事家
自動車業界で、人事etc.~海外子会社CEO~人事担当役員を経て当社へ。人事・組織論の長年の実践知を注入し、「社員の幸福感」と「経営へのインパクト」との両立に挑戦中。
週末のライフワークである人事・組織理論の読書の傍らで徒然なるままに書き溜めたブログです。
建設業のリアルな現場での実践知の共有や、人事・組織論の視点から世の中の矛盾や不条理を鋭く、時に皮肉を交えて切り取ります。
業種を問わずさまざまな企業の中で「なんかモヤモヤしてる」「組織の中で立ち止まってる」そんなあなたの思考に一石を投じるヒントがここにあるかもしれません。
2025年7月より当社代表取締役社長