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#036 褒めるは“優しさ”か“支配”か?ーー褒めないのに自走する組織

「褒めない組織」が育てる自走するチーム

私が丸友開発で当初から目指しているのは、
「自分の頭で考え、自分の足で歩く集団」である。

その方向へ組織が確実に変わりつつある今、ふと気づいたことがある。

——私は、メンバーを褒めていない。

もちろん、誰かをぞんざいに扱うわけではない。
むしろ、対話し、尊重し、信頼している。
しかし無意識のうちに「褒める」という行為が存在しない。

なぜ自分は褒めなくなったのだろう。
なぜ褒めなくても組織は前へ進んでいるのか。
その問いをたどると、アドラー心理学と、子育てにおける“褒めて伸ばす”の難しさが浮かび上がる。

過去の組織文化と向き合いながら、目指したのは“上下”をつくらない組織

丸友開発に来て感じたのは、
「多様な力がもっともっと活きる場所になれる」という確信だった。

過去の経営者のスタイルには、その時代なりの良さがあったかもしれないし、苦境を乗り越えて会社を守ってきた背景がある。
ただその一方で、歴史の中で自然と生まれた「上下」という構図が、メンバーの主体性を発揮しづらくする組織風土が形成されていることを感じた。
「上下構造」・・・まあ多くの企業で今なお色濃く残るところだろう。

そこで私は、まず“構造”を変えた。

・役職呼称をなくし、私のことも「大石さん」と呼んでもらう

・一人ひとりの持ち味を尊重する

・心理的安全性を組織の空気として育てる

・多様なリーダーシップスタイルで対話を重ねる

“上下”ではなく、横に並ぶ関係を日常の中に作り出そうとしてきた。

これらは派手な改革ではない。
まだまだ道半ばなので、あえて上下を望み役職で呼ぶ人も残る。
しかし、時間をかけて積み重ねると、確実に空気は変わっている。

心の安心がつくり出した、自走する人々

フラットな呼称や尊重の文化が浸透してくると、職場の会話は変わっていった。

・ギスギスしたムードが減り、互いを尊重する姿勢が増えた

・攻撃的な言葉が消え、建設的な対話が生まれ増えた

・価値あるアウトプットに繋がる価値ある会話が増えた

・指示がなくても自ら動くメンバーが増えた

“心理的安全性”という言葉をあえて使わなくても、
一人ひとりが「自分は自分のままでいい」と実感できる場になってきていると感じる。

そして冒頭の気づきにつながる。

——あれ、私は褒めていないのに、みんな価値に向かって自走してくれている。

子育てにおける「褒めて伸ばす」は、本当に正解なのか?

ここから話は子育てに飛ぶ。

子育ての世界では、「褒めて伸ばす」が正義のように語られる。
私自身もそう信じていたし、前職では若い人たちに対しても同じ発想で接していた時期がある。

だが、アドラー心理学の視点に立つと、褒めることには“副作用”がある。
それは、親の善意であっても起こりうる。

① 褒めるとは「評価」である

「よくできたね」は、温かい言葉に見える。
しかし構造としては、親が評価者で、子が被評価者になる。

評価者は“上”になり、被評価者は“下”になる。
上下関係が固定されると、子どもは「自分の判断」より「親の顔色」に敏感になる。

② “褒められるための行動”が増える

最初は些細なことだ。
テストで良い点を取ったら褒められる。片付けたら褒められる。空気を読んだら褒められる。

だが、これが繰り返されると行動の基準がズレていく。

・自分が納得したから、ではなく「褒められるから」

・自分の価値観、ではなく「親の期待」

・自己決定、ではなく「承認の獲得」

こうして、主体性は静かに細っていく。

③ 褒められないと不安になる(依存が生まれる)

褒められると嬉しい。だから欲しくなる。
欲しくなると、もらえないと不安になる。

これは、子どもに限らない。大人も同じだ。
職場でも「評価されないと動けない」状態は、思った以上に根深い。

褒めることが当たり前の環境は、承認が“燃料”になる。
燃料がなくなると、止まる。これが依存の正体だ。

では褒めないのか?——答えは「勇気づけ」だ

褒めることを全面否定したいわけではない。
ただ、褒めることが「評価」「上下」「コントロール」に寄っていく危うさを、私たちはもっと自覚していい。

アドラー心理学が大切にするのは、褒めることではなく 勇気づけ である。

勇気づけとは、
評価ではなく、存在そのものを尊重し、
「あなたはあなたのままで大丈夫だ」と、存在とプロセスに光を当てる関わり方だ。

・「すごい(評価)」ではなく「助かった(感謝)」

・「立派だ(優劣)」ではなく「工夫が伝わった(具体)」

・「才能あるね(ラベリング)」ではなく「ここまで粘ったね(努力)」

子育てなら、こう変わる。

・「えらいね」ではなく「やりきったね。自分でどう感じる?」

・「すごい!」ではなく「どこを工夫した?」

・「天才!」ではなく「続けたのが力だね」

・「いい子だね」ではなく「あなたの考えを聞かせて」

ポイントは一つ。
親(上)が子(下)を評価する構造をつくらないことだ。

そして組織でも子育と同じである。

・誰かを評価して上から褒める必要はない

・相手の努力や姿勢、試行錯誤に光を当てる

・相手が自分で自分を認められる状態を育てる

その結果、人は自らの内側から動き始める。

私が褒めなくなったのは、“横の関係”が醸成し始めた証拠だった

私は褒めるのを意図的にやめたわけではない。
ただ、横の関係を育てていく中で、自然と褒める必要がなくなっていった。

勇気づけをすれば、
褒めなくても人は育つ。
褒められなくても自信は芽生える。
むしろ褒めない方が、自走する力が育つ。

丸友開発が今、価値ある会話と自発的な行動に満ちようとしているのは、
その積み重ねが実を結び始めているからだと感じる。

褒めない組織は、冷たいどころか温かい

私は意図的に褒めるのをやめたわけではない。
横の関係を育てる中で、自然と褒める必要がなくなった。

褒めない職場は冷たいのか?
むしろ逆だ。

・見守る

・受け止める

・ありがとうを言う

・必要な時に支える

・共に考える

こういう関係が根づいた組織は、温かい。
そして何より、褒められなくても折れない人が育つ。
それは「自分の価値基準で立てる人」だ。

自走する人が増えた理由は、テクニックではない。
評価という上下の構造を薄め、横の関係を厚くした
ただそれだけの話だと思う。

これからも「褒めない勇気」を持って歩み続ける

私はこれからも、
自走する仲間たちと横に並んで歩きたい。

褒めて伸ばすのではなく、
共に対話し、共に考え、共に育つ組織であること。

これが、私が大切にしているスタイルであり、
実践とアドラー心理学とがつながった、確かな真理だと思う。

あなたは、誰を育てたいのか?

褒めることは、相手を気持ちよくする。
だが同時に、相手を“評価される側”に置く。
その快感の裏側で、私たちは相手の主体性を少しずつ奪っていないか。

子どもに対しても、部下に対しても。

あなたは、目の前の人に“褒め言葉”を渡して気持ち良くさせたいのか。
それとも、褒めなくても、自分の足で立てる人を育てたいのか。

そしてもう一つ。

あなたが本当に手放すべきものは、「褒めること」や「叱ること」ではなく、実は「人間を評価する立場」そのものではないのか。

筆者紹介:風を読む人事家
自動車業界で、人事etc.~海外子会社CEO~人事担当役員etc.を経て、2024年当社へ。2025年7月より当社代表取締役。
長年培ってきた人事・組織論の実践知を、建設業のリアルな現場にも注入し、「社員の幸福」と「経営へのインパクト」との両立に挑戦中。
オフタイムは、経営と人文科学のあいだを行き来しながら思索を深める。その中での気づきや、現場でトライした実践知を週末ブログにして発信。
企業の中で「なんとなくモヤモヤしている」「思考が立ち止まってしまっている」——そんな働く人の心にそっと寄り添い、心が少し軽くなり、前に進むためのヒントとなれば幸いである。