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#047 なぜ人は「自分は大企業に勤めている」と言いたくなるのか――優越感という名の劣等感

優越感は、強さの証明ではない。
それは多くの場合、劣等感を直視しないための仮面だ。
――そしてこの話は、僕自身にも返ってくる。

中小企業・解体業のトップとして営業の現場にいると、稀にこういう人に出会う。

「俺は社長だ」
「うちは大企業だから」
「君のところとは立場が違う」

さらに
「小さな会社の雇われ社長が何を言ってやがる!」
なんて人もいる。
世の中は本当に広い。会ったことのない人種がいくらでもいる。

そんな時、不快感を軽減するために自動的に人間観察モードに切り替わる。
もはや腹も立たず、この振る舞いを「自信」や「強さ」とは別の視点で見る自分がいる。

アドラー心理学では、これは“強さ”ではなく、極めてわかりやすい劣等感の表現とされる。

優越感は、弱さを隠すために使われる

アドラー心理学において、
劣等感そのものは悪ではない。

人は誰しも、不完全である。
足りないものがあり、比べてしまい、揺らぐ。

その「足りなさ」そのものが問題なのではない。
問題になるのは、それを直視せず、
優越感という鎧を羽織ってしまうときだ。

肩書きで優劣をつける。
所属で人を上下に分ける。
相手を見下すことで、場を支配しようとする。

これらはすべて、肩書きや所属が実は自分の価値だとは思っていない、
「自分そのものに価値がある」という感覚を持てていない人の振る舞いであるとされる。
だから、外付けのラベルを振り回す。
自分そのものでは立てない場所に、無理やり立とうとする。

「俺は社長だ」という言葉の空虚さ

「俺は社長だ」「私は有名大企業の役員だ」

この言葉や態度が示しているのは、権限でも、実力でもない。
示しているのはただ一つ、
いま、この場で自分が脅かされているという事実だ。

本当に揺らいでいない人、
真に偉大な人は、
肩書きを使わずに会話ができる。
この地域にもそのような方は沢山いらっしゃる。

言葉で殴らない。
位置取りで威嚇しない。
相手を貶めなくても、自分が消えないことを知っている。

「雇われ社長」という言葉が暴くもの

「君は所詮、雇われ社長だろう」

この一言は、とても示唆的だ。

それは相手を貶める言葉のようでいて、
実は言った本人の世界の狭さを露呈している。

所有していないものは価値がない、
支配していないものは弱い、
そんな前提でしか、人を測れないという告白に過ぎない。

だが現実は違う。

組織を「預かる」という立場は、重い責任を引き受ける行為だ。

それを理解できない人ほど、
「所有」という言葉に強くしがみつく。

優越感で立つ人は、交渉ができない

興味深いことに、
優越感で身を固めている人ほど、交渉そのものが成立しない。

相手を理解しようとしない。
関係をつくる発想がない。
勝ち負けの二元論から抜け出せない。
なんとか相手を折れさせようとする。
立場的優位性を盾に弱者に責任を押し付ける。

結果として、
相手を打ち負かそうとするほど、
長期的な信頼も、未来の選択肢も、自ら潰していく。

そして、これは私自身の話でもある

ここまで書いてきて、
一つ、正直に書かなければならないことがある。

この話は、
「どこかにいる誰か」だけに向けたものではない。

僕自身もまた、
劣等感に押されて、
優越的な立場に立とうとする文脈を選ぶことがある。

有名大企業での解体工事で我が社を選んでもらおうとする場面で、
今に至るまでのキャリアを、地域でのプレゼンスとして前に押し出すことがある。
更には、事業継承支援のミッション中だというノンフィクションドラマを披露することもある。

言い訳となるが、これは已む無い差別化だ。

施主にとって解体工事は一生に一度あるかないか。
無法な解体、不法な廃棄、不安全な工事、近隣迷惑などへっちゃらな同業者の「安さ」の前に、施主は簡単にコンプラを見て見ぬ振りをすることがある。

物理的なものを無にする解体工事に金を出したくない、人間心理がある。

我々の工事技術・工事品質・安全・近隣への配慮、
そして将来に負の遺産を残さない管理体制は、この地域で群を抜いている。
本当の意味で尊敬できるライバル企業は、ほんの一握りだ。
しかし、施主にとって一生に一度あるかないかの解体工事を決断する時、我々の適正工事・適正価格は、同業者の無法工事・指値に勝つだけのプレゼンスを発揮できない。
更には誹謗中傷で同業者を貶める輩もいて、Googleのクチコミには根の葉もない情報のオンパレードだ。

施主は、そんなところに発注して起こる問題には想像が及ばない。価格だけが勝負になり易い。

だから私は、
自分のキャリアを、企業信頼性の判断基準に復活させる補助線として使う。
いまだに、解体業=反社と思っている人もいるくらいだから、はっきり言って効果覿面な現実的な策だ。

それでも私は、
この営業トークを、心の中で本当に恥ずかしいと思っている。
こんなことを言わずに済むビジネスを本気で目指している。

問われているのは、「自覚」の有無だ

問題は、
優越感を使うことではない。

優越感に飲み込まれているかどうかだ。

自覚のない優越感は、
必ず他者を支配し、関係を壊す。

だが、
「いま自分は優越感を使っている」と分かっている人間は、
踏み外さずにいられる可能性がある。

肩書きがなくなったとき、
自分はどこに立てるのか。

その問いを手放さない限り、
優越感は人生の軸にはならない。

引き際を間違えて、社員の軽蔑を後頭部に浴びながら、
大企業の役員として居座り続けることもない。

優越感と劣等感を自覚して活用する

もし、誰かにこう言いたくなったとしたら。

「自分は大企業に勤めている」
「自分は特別なキャリアを持っている」

そのとき、少しだけ立ち止まってみてほしい。

それは、本当に自分の強さから出た言葉だろうか。
それとも、触れたくない不安や劣等感を隠すための仮面だろうか。

この問いは、
他人を裁くためのものではない。

――自分が、本当の自分で立ち続けるための問いである。

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筆者紹介:風を読む人事家
自動車業界で、人事etc.~海外子会社CEO~人事担当役員を経て当社へ。人事・組織論の長年の実践知を注入し、「社員の幸福感」と「経営へのインパクト」との両立に挑戦中。
週末のライフワークである人文科学や人事・組織理論の読書の傍らで徒然なるままに書き溜めたブログです。
建設業のリアルな現場での実践知の共有や、人事・組織論の視点から世の中の矛盾や不条理を鋭く、時に皮肉を交えて切り取ります。
業種を問わずさまざまな企業の中で「なんかモヤモヤしてる」「組織の中で立ち止まってる」そんなあなたの思考に一石を投じるヒントがここにあるかもしれません。
2025年7月より当社代表取締役社長