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#072 「自分らしさ」は変わっていい

僕はこれまで、ブログで何度も「自分らしさ」について書いてきた。

なぜならば、「幸せ」の定義を「自分らしく生きること」と考えているからだ。
人文科学や心理学の学びと実践知を重ねてきた、現時点での僕なりの解だ。

しかし最近、補足したくなる懸念が沸き上がってきた。

もしかすると、僕の発信は

「本当の自分を探そう!」

というメッセージとして受け取られてやしないかと。

だが、僕が本当に伝えたいのはそういうことではない。

今日はその話を書いてみたい。

「本当の自分」が見つからない

世の中には「自分探し」という言葉があふれている。

本当の自分を見つけよう。

自分らしく生きよう。

やりたいことを見つけよう。

もちろん、それ自体は悪い言葉ではない。

僕自身もキャリア面談の場面で、相談者が自分の価値観や大切にしたいことに気づく瞬間を何度も見てきた。

しかし一方で、こんな人にもたくさん出会ってきた。

「自分が何者なのか分からない」

「本当にやりたいことが見つからない」

「自分探しを続けても答えが出ない」

そんな人たちである。

かつて僕もそうだった。

人事だった頃の自分。

海外法人の社長だった頃の自分。

今、解体会社の社長をしている自分。

振り返ると、その時々で考え方も価値観も随分変わっている。

もし20年前の僕に

「将来は解体会社の社長になってるよ」

と言ったら、信じないだろう。

では、あの頃の僕は本当の自分ではなかったのか。

今の僕が本物なのか。

そう考えると、何かがおかしい。

どちらも間違いなく僕だ。

2500年前に「本当の自分」を探し尽くした人

最近、ブッダの「無我」という考え方に触れる機会があった。

僕は仏教の専門家ではない。

しかし、この考え方には強く惹かれた。

なぜなら、それは現代人が抱える「自分探し」の悩みに対して、本質的な示唆を与えてくれるからだ。

ブッダは長い修行の末に人間の苦しみの原因を探求した。

その過程で彼は徹底的に自分自身を観察した。

体を極限まで追い込む苦行も行った。

心の奥深くを見つめる瞑想も行った。

彼は、ある結論にたどり着く。

それは、

「変わらない本当の自分は見つからなかった」

というものである。

体は変わる。

感情は変わる。

考え方は変わる。

価値観も変わる。

どれだけ内側を探しても、

「これこそが永遠不変の自分だ」

と呼べるものは見つからなかった。

ブッダはこの気づきを「無我」と呼んだ。

ただし、これは

「自分なんて存在しない」

という意味ではない。

そうではなく、「これが変わらない自分だ」と握りしめられるようなものは存在しないという意味だ。

身体も、感情も、考えも、移ろっていく。

僕はこの教えに触れて、

人間とは、変化し続ける存在なのだとあらためて認識した。

僕が伝えたい「自分らしさ」とは

ここで、僕自身の話に戻りたい。

何度もブログで発信している

「自分らしく生きることが幸せにつながる」

・・・について、もしそれを

「どこかに本当の自分が隠れていて、それを探し当てよう!」

という意味で受け取られたのなら、それは少し違う。

キャリアコンサルタントの学びの中で、僕がとても好きな考え方がある。

自分らしさと出会える「経験代謝」という考え方だ。

人は、ただ経験するだけでは十分に成長できない。

悔しかったこと。

心が震えたこと。

人生を変えるような出会い。

そうした心を揺さぶられた経験を振り返り、

「あれは自分に何を教えてくれたのだろう」

と自分らしさを意味づけし直すことで、人は成長していく。

その営みを「経験代謝」という。

そう、自分らしさも、固定された性格や価値観ではないのだ。

それ自体もまた、育ち、変化し、進化していくものなのだ。

つまり、自分らしさとは、

変わらない本質を守ることではなく、

変化する自分との対話を続けることなのかもしれない。


新しい出会いによって成長できる。

新しい経験によって価値観が広がる。

過去の自分を超えていくことができる。

自分らしさとは、

掘り当てる鉱脈ではない。

完成された答えでもない。

経験を代謝しながら、

人生の中で少しずつ形づくられていく物語なのだと思う。

組織の中でも同じことが起きている

このことは職場でもよく感じる。

仕事で失敗すると、

「自分はダメな人間だ」

と思ってしまう。

上司に叱られると、

「自分には価値がない」

と思ってしまう。

逆に褒められると、

「自分は優秀だ」

と思ってしまう。

しかし、本当にそうだろうか。

失敗したのは、その日の一つの行動に過ぎない。

褒められたのも、その日の一つの成果に過ぎない。

ところが僕たちは、その一部分を「自分そのもの」だと思い込んでしまう。

だから苦しくなる。

ブッダの言葉を借りるなら、

僕たちは変化し続ける流れの一部分を切り取って、

「これが自分だ」

と握りしめているのである。

変われることは希望だ

僕は人の可能性を信じているし、社員の成長も信じている。

もし人が変わらない存在なら、教育も育成も意味がない。


しかし現実は違う。

昨日まで自信のなかった人がリーダーになる。

人前で話せなかった人が後輩を育てる。

苦手だった仕事を得意分野に変える人もいる。

僕はそんな場面を何度も見てきた。

だから「自分はこういう人間だから」と決めつける必要はない。

今のあなたは、未来のあなたではない。

今日のあなたは、明日のあなたでもない。

変化することこそが人間の本質なのだとしたら、僕たちはいつでも成長できる。

そこに希望がある。

自分探しは終わらない

登山をしているとよく思う。

山頂は一番の目的地ではある。

そこには大抵その日一番美しい景色が待っている。

しかし、下山後に思い浮かぶ心に残る風景は道中だったりする。

吹き抜ける風。

鳥のさえずり。

触れた湧き水の冷たさ。

偶然の出会いと会話。

苦しかった急登坂。

頂上が遠くて途方に暮れた自分の気持ち。

登頂が目的なら、その時間の価値は見落としてしまう。

人生も同じではないだろうか。

どこかに完成形の自分がいて、それを探し当てる旅ではない。

変わり続ける自分と付き合いながら、一歩ずつ歩いていく旅である。

だからもし今、

「本当の自分が分からない」

と悩んでいる人がいるなら伝えたい。

それはあなたがおかしいからではない。

探し方が下手だからでもない。

もしかすると、

探しているものが最初から存在しないだけなのかもしれない。

今日の自分は、人生のすべてではない

嫌なことがあった日もある。

失敗する日もある。

自信を失う日もある。

しかし、それは今日の一場面に過ぎない。

僕たちは、ときどきその一場面を

「これが自分だ」

と決めつけてしまう。

だが本当は違う。

自分とは固定された点ではない。

流れだ。

昨日の自分と今日の自分は少し違う。

今日の自分と明日の自分も少し違う。

だから今の苦しみも永遠ではない。

今の失敗も永遠ではない。

今の弱さも永遠ではない。

僕は今でも、

「自分らしく生きられることは幸せだ」

と思っている。

ただし、この記事を書きながらあらためて思った。

自分らしさも、どこかに隠れている本当の自分を探し当てることではないと。

変わり続ける自分を受け入れながら、自分らしい選択を積み重ねていくことだ。

人生は、自分探しの旅であり、自分づくりの旅でもある。

ただし、その自分に完成形はない。

僕たちは経験を代謝しながら、変わり続ける自分と生きていく。

だから今日の自分に絶望しなくていい。

明日の自分は、少し違う自分になっているかもしれないのだから。

筆者紹介:風を読む人事家

自動車業界で、人事etc.~海外子会社CEO~人事担当役員を経て当社へ。
人事・組織論の長年の実践知を、建設業のリアルな現場に注入し、組織と人の可能性を探究している。
一貫して向き合ってきたテーマは、
「社員の幸福感」と「経営へのインパクト」とを両立すること。
その問いに真正面から挑戦し続けている。

本ブログは開始当初から一貫して、毎週末に書き、毎週末に届けている。
激動の経営の中で見失いそうになる“自分”を、週末にそっと拾い直すための思索の記録でもある。

現場のリアルと人文知が交差する中で、
世の組織の中に潜む矛盾や不条理を鋭く、時に皮肉を交えて言葉にする。
もしあなたが、
「このままでいいのだろうか」と、ふと立ち止まったことがあるなら。
その言葉にしきれない違和感や揺らぎに、名前を与えるヒントが、ここにあるかもしれない。

2025年7月より当社代表取締役社長

読んでいただき、ありがとうございます。

僕がなぜ経営を続けるのか、
なぜ人と組織について書き続けるのか。
僕という人間がよく分かる3本です。